津波における「想定される最悪の事態」
「此処より下に家を建てるな」…三陸にはこのような石碑が各所にある。
(引用元)
一つ確かなのは福島原発における東京電力の「想定外」は言い訳にもなりゃしねえということだ。宮城県沖地震が30年間隔程度で起きていて、延宝地震では「津波が磐城から房総にかけて襲来」とある。幾ら貞観地震が科学的所見に欠けるにしたって、「多賀城下を襲った」のだから、内陸まで津波が入り込むほどの地震だったというのは読み取れるはずなのだ。だのに福島に大きな津波が来ると思いが至らない理由が判らない。
さておき本題。では「想定される最悪」とはどのくらいなのか。
今回の東北地方太平洋沖地震でも盛んに取り上げられた明治三陸地震の綾里の数値は、その標高の峠を津波が越えた、という事実による(38.2メートル)。これは風呂の壁に湯船の波をぶつけて見れば判るように、押し寄せた波が駆け上がった結果である。
その明治の津波、更に昭和三陸地震津波を教訓に作られたのが田老町の堤防である。10メートルの防波堤が町をガッチリ囲む姿は「万里の長城」とすら呼ばれたが、今回の津波はそこを駆け上がった。
八重山地震(1771年)では石垣島で82メートルの津波が生じたとされる。この記録については多分に伝説的な要素が多いとされる(琉球大の調査では18メートル)が、川を相当上流まで遡ったのは確かなのではないか。
世界最大の津波はアラスカの岩石崩落で生じたもので500メートルを超えたと言われる。日本では似た例として、火砕流の記憶鮮明な方も多いであろう、雲仙普賢岳が地震とともに山体崩壊を起こして島原海に突入、対岸を津波が襲い、「島原大変肥後迷惑」と呼ばれた(1792年)。
想定は可能性に基づくが、こうやって書き並べるとキリが無いことが判る。マグニチュード9は地震としてはリミットに近いと思うが、この千年スケールの地震を常に考慮すべきかというと悩ましい。もっと言うと、アメリカのイエローストーンが噴いてアメリカ大陸全体が揺さぶられたら何が起きるか、巨大いん石が落ちて津波を起こせばどうなるか、など、現実的かどうかという次元になってしまう。
ちなみに「此処より下に家を建てるな」を守った集落は、今回の震災では難を逃れた。恒久的では無いにせよ相当なスケールの地震まで耐えうる一つの指標となったのだ。じゃぁ「住まない」が解なのか。数百年、数千年に一度のために土地を開けておけと言うのか。21世紀を生きる者の解としてそれが最適なのか。
…大阪の大正橋にも、津波の石碑がある。
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