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2011年4月27日 (水)

地震国倭国における千葉の立ち位置

戯れ言。
 
神武天皇にせよ、日本武尊にせよ、「蝦夷の荒ぶる神々を平定」しに東方征伐を敢行するわけだが、この「荒ぶる神々」って実は地震だったんじゃねーの?という気がしてならない。特に日本武尊の征伐行終点は総の国・常陸国であって、香取鹿島の両神宮に地震のナマズの頭を抑える「要石」があるのは書いている通りである。
 
加曽利貝塚という教科書アイテムが千葉にあるわけだが、同貝塚のサイトによれば、9000年前(紀元前7000)に集団居住の勃興が見られ、紀元前3000年紀、寒冷化の開始による縄文海進の後退と共に貝塚の形成が隆盛、2000年前(紀元元年……イエス・キリストの時代)、ぱたっと消えて無くなる。
 
数千年の長きにわたり狩猟採集の民族が営巣(!)し続けた故は、食い物の確保が潤沢だったことは勿論、その間津波に襲われることはなかったという見方も出来る。
 
今般の東北地方太平洋沖地震では、津波の想定や過去の例に対し反省と研究を促す方向になっているわけだが、「1000年以上の周期を持つ超巨大地震」の可能性はようやくここ1~2年で見え始めたところだったという。貞観地震が1000年に1度の規模で、今般の地震がその再来だった可能性もその中から出てきたことだ。これは主に津波堆積物(海の物が陸の奥まで運ばれてやがて埋もれて地層の一部と化す。海の物の間隔で津波の周期が判る)の解析による。
 
そして、その解析結果の曰く、貞観の「前」は紀元前1年紀……そのイエス・キリストの時代だったことが示唆されている。この時代寒冷化で海面は低くなっていた。当然、人々はそれまで津波知らずだった高台から下へ降りた。そこへ津波が来て
ぱたっと無くなる。
 
弥生時代は海進の名残で千葉や茨城は湿地帯だった。それがとりもなおさず今般液状化の下敷きにあるわけだが、風土記の言う「農産物の宝庫」、総……「ふさ」が意味するフサフサと草本が繁茂する様を地震と津波が襲ったらどうなるだろう。

東方から海を轟かせて来襲し、国土と実りと人命を破壊した文字通り「荒ぶる神々」を討ちに、東方征伐行を仕掛けようと思うのも無理なきことではないか。

さてここで神話時代お好きな方はご存じと思うが、神武天皇と日本武尊の「2回」東方征伐が実施されたことは謎とされていた。同一人物の同じ征伐行が複数ルートで伝承されるうちに2つの話になったのではないかという説もある。しかし相手が地震としたらどうだろう。↓にも書いたが
 
・1936.11.3 宮城県沖 M7.4
・1938.5.23 茨城県沖 M7(塩屋崎沖地震)
・1938.11.5 福島県沖 M7.5(福島県東方沖地震)
 
こういうパターンも過去にあるのだ。古の征伐より年月が経過したら、今度は数年間隔で何度も襲ってくるようになった。今ひとたび征伐に向かい東の果てに追いやった。そこに荒ぶる神を抑える社を建てた。……真相は知らんよ。ただ。
 
縄文人はそれでも数千年をこの地震の国で生き延びて来た。

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