自殺するほどの気持ち(3)
一般に葛藤・フラストレーションは心の病の入り口になるが、フラストレーションとは要するにこういう状態である。
・自分のやりたいこと
・自分の出来ること
が、異なる。ここに社会人ではこれが加わる。
・周りが期待していること
つまり「やりたいこと・できること・やってほしいこと」…このうち2つ、或いは3つ全部が食い違う。
アニメファンの方は特にご存じと思うが、「ついった」で、或る声優さんが激しくバッシングされ、それに攻撃的な反応を見せて更にバッシングを受けている。どこぞの番組での発言で、「裏切られた」と憤慨したファンが攻撃に及んでいるらしい。返す刀で「私の何が分かる!」と。タレントさんがプライベートを出す最大のリスクであろう。ちなみにこの方の場合、3つ食い違いの典型例である。更に彼女の場合「奇行」に分類されるべき行動が散見され、良くないスパイラルの傾向が見られる。
「がんばる」
戻って自殺したタレントさんに視点を戻すと、彼女のこの発言が目に付く。このコトバの怖いところは、充実している方からも、追い詰められている方からも、同じようだが逆の意味で出て来るところだ。
とりわけ怖いのは、追い詰められている人が、そう悟られまい、或いは更に自分を鼓舞しようとして使う「がんばる」だ。聞いた方が充実の意味で、充実しているのでよりステップアップという意味で捉えたら、「じゃぁ問題無い」と思ってしまう。…深刻さに気付かない。注意を向けなくなる。
「奇行」というのは気付いて欲しい、認めて欲しいという潜在意識の顕れである。何年か前、駅前で道行く人に片っ端から暴言を浴びせるアーバンジプシーのおじさんに遭遇したが、孤独ゆえに他人とのセッションが欲しいという心の悲鳴なのだと感じた。小さい子が怒られると知ってて悪いことをするのと同じである。思い返して頂きたい。その「悪いこと」をした時、あなたはお子さんの相手が出来ない状態で、子どもさんは「ひとりぼっち」と感じていたのではあるまいか。
結論に向かうが、気付くには、誰かがいないとならない。
認めるには、誰かがそばにいないとならない。
あなたがそうであるように、ひとりぼっちは決して良い結果を招かない。
だから、あなたがまず、誰かの友達でいて欲しい。
人間は古来、一族郎党が同じ穴で暮らしてきた、群れの生き物。
(おわり)
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