リンク

  • 創作物語の館@ココログ出張所
    別途お話を書いています。携帯端末で気軽に読めそうな短いのと、携帯端末でどうにか読めそうなデータ量に小刻みに切り分けた長いのと。 メインはファンタジー、冒険、命を守る。先端科学、魔法、超能力、妖精さん、てんこ盛り、暇つぶしにでも覗いてやって。50作少々あるので。
  • 竹谷内医院カイロプラクティックセンター
    ヘルニアや座骨神経痛と闘うあなたに。ここが私の安心サポート。 (カイロプラクティックまとめ記事はこちら
  • 朋和カイロホームページ
    名古屋におけるオレのケツ腰の守護神。JAC認定カイロプラクティック。さあアナタもLet’sバキボキ

ついったー

  • ついったー(暫定運用)

めーるぼっくす

無料ブログはココログ

« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年10月31日 (月)

千葉で何かが起こるのかII

Aho
んも~。取り上げざるを得まい。
 
前にも書いたが房総半島を含む関東南部は南から「フィリピン海プレート」にド突きまくられている。
海に引きずり込まれる動きだが、我慢できなくなるとビヨンと跳ね上がる。これが「関東大地震」である。相模湾を震源とする大正関東地震(1923年・関東大震災)タイプと、房総沖も連動する元禄地震(1703年)タイプが知られる。合わせておおよそ200年くらいの周期で動き、前回1923年より次回は22世紀に入ってから、というのが大方の見方である。
 
コレを踏まえて。
 
でもだからといって200年完全に沈黙するかというとそういうわけではない。6年間隔くらいで摩擦のデカイ部分がずるっ、ずるっと動くのだ。これが「スロースリップ」と呼ばれる現象で、1980 年以降これまでに約6 年の間隔をおいて5 回(1983, 1990,1996, 2002, 2007) 観測されている(ソース※1)。このうちの2007年の活動では、8月16日にM5.3(最大震度4)、M4.9(最大震度3)、M4.7(最大震度3)の地震が発生、8月18日にM4.8、震度5弱の地震が起きている(※2)。
 
やらしいのは。
Baka

1987年千葉県東方沖地震(M6.7・死者2)のメカニズム解析(※2)。

に代表される、M6クラスの地震が「スロースリップ6回分程度一気に動いた奴」と考えられることだ。6年ごとで6回、すなわち36年ごとに大きめの地震が伴う、というのである。
Doaho
「この近辺で起きた過去のM6 地震を探すと,震源の浅い関東地震の余震を別にして,1912 年M6.2,1950 年M6.3 が拾い出される.また,1950 年のメカニズム(Ichikawa,19717)) は,1987 年のメカニズム(Okada and Kasahara(1990)3)) と同類である.これら3地震を固有地震の再来とすれば,その発生間隔は,前述の値と合致する.以上によれば,次回の固有地震発生は,あと2回分のスロースリップの後,2020 年前後と推測される.」
(※2)
 
ちなみにこれらの解析図は、「太平洋プレート(PAC)」が北西から南東へ、「フィリピン海プレート(PHS)」が南東から北西へすれ違うように動いたことを示している。

「あれ?6年ごとなら2007年の次は2013年では?」
 
そう、それが本質。少し繰り上がって発生したのだ。応じて「スリップの量は少ない」そうだが、何せ太平洋プレートは東北地方太平洋沖地震で少し押し戻された(東方向へ動いた)。
 
まとめる。
 
・スロースリップは6年ごと程度で発生し、M4~M5クラスの地震活動を伴うことがある
・36年間隔くらいで一気にずれることがあり、その場合M6.5クラスの地震を起こす
・前回M6.5クラスは1987年に生じており、次回は2020年頃と見られていた
・東北地方太平洋沖地震に伴い太平洋プレートが動き、スロースリップが想定より短期間で生じた
 
結論1:スロースリップ活動に伴う地震が発生する可能性がある
結論2:ちょいと大きめのも早めに来るかも
 
フィリピン海プレート側の移動量が前回より少なく、従い地震が起きたとしても開放されるエネルギは小さく、各イベントで通常生じる地震よりは小さいと思われる。逆に言うと各イベントで過去に起きた地震を最大と見ておけば良い、という考えになる。
 
今一度落下転倒対策の確認、地震が来たときの初動対応訓練を。

ソース※1http://www.jma.go.jp/jma/press/0708/18a/kaisetsu200708180630.pdf
ソース※2http://cais.gsi.go.jp/KAIHOU/report/kaihou79/04_03.pdf

2011年10月30日 (日)

太古・月は2コあった?

P9120033
お月さんいつ見てもこのカオしてますが。
これは重い方を常に地球に向けているからであります。
裏側は、というと。
Pia00225
(ネタ元、JAXA
大目玉は「東の海」(Mare Orientale)…東海(笑)ぢゃねーぞ
 
ボコボコ。しかも、こっちの方が地殻(要は表皮)が分厚い。
 
この表と裏の大きな差については、長らくナゾでありましたが。
 
巨大小惑星が地球に衝突し、その際の破片が再集合して出来た、というのが現在言われている月の誕生「ジャイアントインパクト説」です。その際、月は大小2個出来、結果衝突して、小さい方が粉々になって大きい方に降り積もった、とすれば、この表裏の違いが説明できるそうです。
 
今の地球の環境、自転の安定は、月があの大きさであったればこそ、とされます。
私たちは奇蹟の中の奇蹟の果てに生きているのかも知れませんね。
 
ネタ元:ねいちゃー誌
 

 

2011年10月29日 (土)

防災訓練の風景

10月の最終金曜は毎年避難訓練。
さすがにみんな3月11日を経験しているせいか、これまでより真剣だった気がする。
この手のイベントがでぇきれぇなじちょーも、「机の下に潜る」は参加した。
「お前メールに5分揺れるとか書かなくていいんだよいちいち」
うっせバカ。そういうのが現実に面したとき知識として呼び出されるんだよ。
 
さて今回は「房総半島沖でM8」という想定である。これは元禄地震(1703)を想定したものと考えられる。
「帰宅困難を想定して貴重品と非常食袋を持って避難してください」
う~ん、意図は判るが。
 
元禄地震は関東大地震のグループに属し、その大親分である。相模湾と房総沖が一緒に動いた。
Baka
シミュレーションモデル。ネタ元pdf
問題はこいつ東京湾に津波を送り込むのだ。
Doaho
品川(当時の=海岸)が水に浸かり、液状化もあったとされる。ネタ元同。
「でも今埋め立て進んで海岸線もっと奥じゃん」
それが問題。そうした近々に埋め立てられた港湾施設・石油コンビナートなどが液状化で沈み、次に津波に呑まれて流されてくる、という可能性があるわけ。鉄の塊と炎が波の先頭に立って海岸を舐めることの恐ろしさは皆さんご存じの通り。
 
すぐ、帰ってはいけないのだ。う~んもう少し何とかならんかなぁ。

2011年10月28日 (金)

さすがに疲れた

今週したこと
 
・福岡まで出張、新幹線に5時間
・社内講座の講師、8時間立ちっぱ喋りっぱ
・避難訓練で11階分階段ステコテ(ステコテの(c)はうちやえゆかさん)
 
※問題:この中に1つ「自業自得」があります。果たしてどれでしょう。
 
「オレサマさん」
「へい」
「Fさんケガしたんだって。ひょっとすると講師の代打お願いするかも知れない」
 
・・・(^0^;)
 
とりあえず寝る

2011年10月27日 (木)

男がやってもサマにならない行動

・ジューススタンドで生ジュースを飲み、ニコッ
不気味
 
・すれ違いざま小さい子に声を掛ける
おまわりさんこっちです
 
・四つ葉のクローバーを探す
不気味
 
・木枯らしに吹かれて寒さに声を出す
病気
 
・少女マンガを読む
おまわりさんこっちです
 
・一人で遊園地
友達いないんだ
 
・男集団で遊園地
超不気味
 
・星空を見上げる
不気味
 
…男って損。

2011年10月26日 (水)

たまには役に立つことを書く

工作機械の営業やってるE君から電話。
「オレサマさんって輸出管理行けましたっけ」
「ある程度はね」
「『該当品』って移設するとき許可要るんですよね」
 
【解説】
『該当品』
「輸出貿易管理令別表第1」にリストアップされている軍事転用される可能性の高い物品のこと。自由な輸出は規制されており、輸出する際は経済産業省の許可が必要。リストに載っている=規制対象の条件に該当している=該当品、という意味。多くの場合、輸出後の勝手な転用に歯止めを掛けるため、移設の際に経産省の同意を求めることを輸出許可の条件に課す。
【解説オワリ】
 
「大体許可条件に移設時の届け出とか条件ついてるわな」
「それでですね」
Aho
「タイの洪水で各工場に入ってる工作機械避難させようってことなんですけど、移設許可申請出すのに社内稟議要りますよね」
「役所に出すからね」
「ああ、やっぱり」
 
・とにかく納入台数が多い(日系企業多いので)
・水に浸かりそうになってから持ち出す、という形なので、持ち出すかどうか直前にならないと判らない
・稟議及び経産省の許可を待ってからでは遅い
 
「どうしましょう」
「ああ、経産相動いたよ」
「ゑっ?」
 
2011/10/25掲載
▼Q28:質問
 
今回(2011年秋)のタイ洪水被災に関連して、輸出した貨物を緊急に再移転する必要があります。その場合の手続きを教えてください。
▲A28:回答
 
今回(2011年秋)のタイ洪水被災に関連して、輸出した貨物を緊急避難的に再移転する場合については、事後での報告を受け付けております。事前同意は必要ございません。窓口までお問い合わせください。
 
「マジデスカ」
「マジデス。後で結構です」
「よかった、よかった。ありがとうございました」
…いやオレなにもしてないけど
 
ちなみに同様の理由で修理や補修部品の輸出に関しても便宜が図られています。ちぇきら(ずーっと下の方)。
http://www.meti.go.jp/policy/anpo/qanda08.html

2011年10月25日 (火)

トカゲ化進行中

製造後41年から経つわけだが、白髪と耳毛と老眼以外、老化を意識したことはない。
んが。
最近気付いた変化。
目覚ましが鳴ったら、15分ほど布団の中でゴロゴロしてから起き出すといいらしい。
人間よらず地球生命は筋肉を動かすのにある程度熱が必要だ。鳥や哺乳類はその熱を身体の中で常時生産している。基礎代謝という。持ってない連中はひなたぼっこで身体を温めたり、寒すぎると死ぬ。
代表例がトカゲなど爬虫類。カナヘビのひなたぼっことか萌え。
さて自分の場合やせの大食いである。食ったモノ熱になって消費される。基礎代謝旺盛なのである。暑がりだが寒さに強い。布団かぶって腹巻きしてる妻の横でタオルケット1枚とかざら。
だが、朝のこの状態は。
基礎代謝が落ちてきたのか。
だとしたらこのまま食い続けるとデヴ?

2011年10月24日 (月)

しんかんせん・うおっちんぐ

「オレサマ仕事しとんのか」
あくまで待ち時間。
Sn3n0147
初ナマ九州800系新ロット。色使いやっぱひと味違うね。
Sn3n0148
かわいい顔してるだろ。でも、速いんだぜ。
Sn3n0153
出発準備。個人的にはお前さんが300キロでぶっ飛ばす姿を見てみたかった。ってか、使用料がどうこうとかせこいこと言わずに整備新幹線区間も300キロで走れや。0系で260キロ仕様なんだから今の連中は300キロで平気。まぁ距離200キロ程度だから時間的には、かも知れんけどさ。
Sn3n0157
さぁ鹿児島へ。幼少の頃、ばあちゃんの家の近くの公園から、車庫(博総)へ出入りする新幹線眺めるのが好きだった。そこを今、営業車輛が走る。
Sn3n0158
こっちへ客乗せて発車して行く。本当に鹿児島まで繋がったんだなぁ。胸が熱いぜ。
仕事の時間サバ読んで鳥栖くらい往復してくれば良かったかな。←それはそれで業務上横領
Sn3n0149
レルスタ。黒いスリッパ。800系もこれベースなんだぜ。なんでこっちの顔にしたかなぁ。ちなみにその車庫・博多南行き。女子高生が乗ってたりしてすっかり地元の足。なお彼女たちはスパッツ。ちっ←それはそれでちかん
Sn3n0155
さくらたん。サボ桜色。放送のイントネーションは千葉人には「佐倉」に聞こえる。総武快速思い出しちゃう(T_T)
Sn3n0154
大阪からの直通車。これ西仕様か。どっちでもいいや。自由席は結構乗り込む人多い。
Sn3n0159
これは九州車。新設11番ホームは頭端式有効長8連。ちなみに11番は博多までの時代、「東京行き」の出発メインだった。「11番に立つことは福岡のばあちゃんとサヨナラすること」しょんぼりプラットホーム。
Sn3n0162
この造作。四角形から無理矢理スリッパに絞る。だったら500系や800系の方がと思うのだ。
Sn3n0161
東京起点1069キロ(実キロ)
Sn3n0160
←新鳥栖・小倉→・・・空欄はなくなった。ここは博多駅。
Sn3n0012
このN700東海道仕様の日常回帰っぽさというかビジネスライクというかつまらなさ。同じN700なのに何でこうも違うんだろう。
 
-おしまい-

2011年10月23日 (日)

戯れ言二題

●寝しな
「おとながして~」
「オナラがしてぇ!」
「ちがう!おとながして」
「子どもじゃだめなもの?それはキケンだ」
「ちがう(T_T)」

●スーパーにて
どこかの親子
「おかずどうしようか」
「天かす!」
マジデスカ(゜∀゜)
 
さて娘さんは放置隠蔽していた30枚からの課題プリントを今日半日でやってのけました。
だったら毎日やるくらいどっちゅことないやろが(`へ´)
 

2011年10月22日 (土)

反省はイイから

Doaho
次、行けよ。言い訳しても何の意味も無いだろうが。
 
似たようなことは「Newton」主筆の水野さんが地震の特集やこれの巻頭言で書いている。要するに
 
・1960年チリ地震(M9.5)から日本でも同規模の可能性を見いだしたにも関わらず真剣に考えなかった
・近代地震学勃興以降の100年のデータで全て推し量ろうとした
 
こういうわけだ。
 
ただ、オレ自身は3月11日「ああ、連動型が東北で起きたんだ」としか思わなかった。当日の記事1行しか書いてないが、これは会社に泊まったため、携帯しかブログに書き込む方法がなかったためと、でかいことはでかいが、驚愕に値するほどとは感じていなかった事による。海溝の構造が~とか、連動型の記録がないから~とか、逆に学者ほどのこだわりがなかったからかも知れぬ。宮城県沖は前回1978年から30年が経過、今日明日起きておかしくなかったし、2連動でM8クラスの可能性は指摘されていた。それがもう少しデカイスケールで起きたんだ。それだけだ。
 
いっつも地震ネタでは書いているが、「いつどこでどんなのが」起きるか、知っただけでは何の意味も無い。日本をあちこち逃げ続けるのか、だったら日本で暮らすな、それだけの話だ。基本は「生き延びること」「破壊を最小限に抑えること」「復興し、前より強くすること」であり、そのために何が出来るか、が真の日本の防災・減災であろう。そのために規模や津波の予測、当面の可能性が必要だし逆にそれで充分だ。ピンポイントを狙おうとするからムリが生じる。
 
日本最大規模の災害を及ぼす地震は言うまでも無く東海道ベルト地帯を襲う東海・東南海・南海地震である。東海地震は過去単独で起きたことは無く、安政東海地震から150年、南海地震からも60年余が経過した。歴史の物言いに基づけば、次のそれは2050年頃までに確実に発生し、東海地震を含んだ連動型となる可能性が高い。
 
これを乗り越えることこそ、東北地方太平洋沖地震で犠牲になられた方々に対する、最大の鎮魂であろう。
 
日本を、この国を、地震如きで止めてはならない。

ちば


関宿
 関宿
 醤油野田
  野田野田
  流山柏柏我孫子       佐原佐原
  流山レイソル沼南印西栄成田下総神崎佐原小見川東庄
  松戸松戸白井印西本埜成田大栄栗源山田干潟海上海上
  市川鎌ヶ谷白井印旛成田空港多古栗源山田干潟旭銚子犬吠埼
   市川船橋八千代印旛酒々井富里多古八日市場旭旭飯岡銚子
  市川競馬八千代千葉マラソン佐倉富里芝山八日市場旭旭
  市川船橋習志野千葉四街道八街山武芝山光野栄
 ネズミ      ロッテ千葉千葉ピーナッツ山武横芝光
          千葉千葉八街松尾松尾横芝
           千葉千葉東金成東蓮沼
           千葉千葉東金東金成東
          千葉千葉東金九十九里
          ジェフ千葉千葉大網白里
         市原市原市原茂原白子
         市原市原市原長柄長生
        袖ヶ浦長南陸沢陸沢一宮
アクアライン  袖ヶ浦市原大多喜夷隅岬岬
====木更津市原ワタナベ夷隅大原大原
    君津君津木更津大多喜勝浦御宿
    富津浜幸君津君津大多喜勝浦
    鋸南鋸南君津天津小湊勝浦
    富山富山鴨川シーワールド
   富浦三芳丸山和田
   館山三芳丸山
   エックス千倉
    白浜

秀逸(^^)

2011年10月21日 (金)

大佐へ

尊敬は、しないよ。結局、あんた一人贅沢してたわけだし。
でもね。
あんた、言ってくれたよね。
「日本は、アフリカを侵略していない。だから、日本人が気を悪くするようなことは言わない」
その上で。
「何で原爆を二発も落としたアメリカの犬になっているか判らない」
これ、あんたが「国の名前」や「同盟国」のみだけで日本を判断していないってことだよね。
その辺、正しく評価してくれてると思う。
そして、言う通りだと思う。
日本は、自分で自分を守るという事を忘れてしまった。
後世歴史はどう言うか知らないけれど、少なくともあんたは、あんたの確たる信念に基づいて、行動した。
日本はどうだろう、みんなして「何かおかしい」と気付いてはいるのに、行動を起こす人は少ない。
どうせ…と思ってる。多分ね。
でも、じっと何もしないというのは、攻める側には隙だらけなんだ。そう、守ることを放棄したに等しい。
オレの国の周り、嘘をつき日本を蔑むことしかしない乞食国家と、幼児をひき逃げし、それをみんなして見殺しにする残酷国家。
無防備でいいわけがないんだ。なのに、かつての自分の敵に自らの安全を依存してる。
どれだけ情けない国に映っているんだろう。
日本はアメリカの方針に従い、あんたの国に経済制裁をした。
でも知ってる。
東北地方太平洋沖地震の時、ベンガジ市民の最大の関心事が、日本の状況だったことを。
中東とアメリカ、ひいてはアラブ・イスラム諸国とユダヤ・キリスト教という永遠に等しい対決の構図に置いて。
日本という国の立ち位置が世界で唯一、極めて稀であることを知っている。
それは少ない接点であると共に、針の穴のような希望かも知れない。
でも多分あんたのことだ、高天原に怒鳴り込んで既に持論をぶっているかもね。
尊敬はしない。でも、あんたが日本という国を一目置いてくれたことを忘れない。
革命と言うには大げさかも知れないけれど。
今の日本がどこかおかしくて、変えなくちゃならないと言うことを我々も自覚しているとあんたには伝えたい。
その武器は銃と剣でこそないけれど。
あんたの墓に何か供えるのは世界で最も似合わない。
抜き身の真剣、日本刀を突き立てておく。
あばよ、大佐。

2011年10月20日 (木)

さすがの父ちゃんも擁護できません

帰ったら娘がビデオを見ている。
終わったところで妻が尋ねる。
「お風呂入りなさい。宿題は?」
「やってな~い(^^)」
ちょっと待った。
君はこの間宿題を後回しにしないと約束したんじゃなかったのかな?
あまつさえは
 
・三角定規を無くした(新品未使用)
・課題プリントをやらずに隠蔽(大量発見)
 
妻、プチン。
「明日と日曜の遊ぶ約束禁止!」
(T_T)
娘に甘い父親だと自負しているが、これはだめ。嘘・捏造・隠蔽・その場しのぎ・約束を守らない・管理がずさん。
まるで朝鮮人じゃないか。
さて父親としてはどうするべきか。相手が息子なら鉄拳制裁の対象である。親父と倅はそのくらいでいいのだ。したが娘だ。ちなみに両親揃ってギャンギャン叱るのは逆効果で、常にどちらかが逃げ道を、という議論の存在を知ってるが、揃って叱るべき事案もまたあると思うのだ。
「お父ちゃんいつも面白くて、いつもオナラブーブー」
父は少し口をつぐむ。

2011年10月19日 (水)

あいふぉんを擁護する・・・但し特に買う気はない

こんだけ持ち歩いてる。
Pa190118
ウォークマン→音楽を聴く→あいぽんでできる
ガラケーさん→電話・メール・ネット→あいぽんでできる
エイサー君→お話・文章書き→あいぽんでできる
なんだが。
音楽に求める→音質→あいぽんじゃちょっと・・・
文章を書く→仮名漢字変換とワープロ機能→あいぽんじゃちょっと・・・
で、ネットも野球の経過・ついった・2ちゃん→あいぽんでなくてもいい・・・
と、こうなるわけで。
ちなみにやはりあんどろいどはりんごの後追い、「同じコトできるようにしました」の枠を出るモノではない。サムチョン銀河があーだこーだやってるが「液晶タッチパネルのアイコン起動」自体は随分前から存在し、争点にはならない。
Aho
ただ、あんどろが無ければサムチョンもマネは出来なかった。それを置いても、いじり回す限り、あいぽんの方が「指についてくる」あんどろは「指の動きを検出して追って動く」という違いがある。どっちが自然、感覚になじむかは言わずもがな。
 
さて、ここに来て少し悩んでいるのが「エイサー君の後継」である。ネックは文章入力と保存で、ATOKのPadか、そのジャストを出た浮川さんのソフトが使えるかなぁという部分はあるが、うぃんどうずPCとの共有が難しい。あと、りんごPadは両手でドガガガと入力する利用シーン(入浴シーンではない)ではちょっと冴えない。
Iconia_tab_w_350x250
エイサーのPad。キーボード追加可能。でもねぇ、総武快速で画面とキーボード分割利用?
Baka
あ、純粋に後がまのネットブックが3万じゃん。
 
りんご否定しないがマカーになりたいかってぇとそうじゃない。

2011年10月18日 (火)

飲み会にて

妙にAKBの動きに詳しい50代のおやじ。
「オレサマさんオタクだよね」
「ええはい」
「同族嫌悪っていうから奥さんの性格真逆?」
するとそこで庶務ギャルの突っ込み。
「50代さん奥さん寡黙なんだ。ギャハハ」
どうでもいい、と思うオレはやはり飲み会には向いてないんだろうな。
ちなみに50代氏はオレがアキバをうろつくからとAKBやメイドカフェのねーちゃんの話を蕩々と語ってくれた。
アキバったっていろいろあんでぇ。

2011年10月17日 (月)

(´・ω・`)

(´・ω・`)
Pa170111
(´・ω・`)
Pa170107
(´・ω・`)
Pa170105
(´・ω・`)
Pa170108
(´・ω・`)
Pa170106
(´・ω・`)
Pa170109
(´・ω・`)
Pa170110
(´・ω・`)
Pa170112
(´・ω・`)
Pa170113
(´・ω・`)(´・ω・`)
Pa170115
(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)
Pa170117
(´・ω・`)
Sn3n0142
(^^)v

2011年10月16日 (日)

読み聞かせ~声は魔法なり~

←アニソンアコースティックライブ練馬アニメカーニバル→

ボノロン……悲しい涙が落ちたとき、大木の根元に現れる森の戦士である。
アリオ蘇我でうちやえゆかさんの読み聞かせイベントがあったので行ってきた。
 
娘さんが朗読能力今ひとつという背景も踏まえてのことだ。
Sn3n0144 このように大きな絵本(公式行くと判るが、この絵本は借り出せる)でお話しを一つ。後は「大きな栗の木の下で」をみんなで歌って踊って。それと、大きな紙でボノロン絵描き歌。
 
いやなんつーかさすがである。感情・雰囲気・抑揚……まぁ、読み聞かせイベントは、これのみならず、こなしてらっしゃる方なので、ある意味当たり前なのだが、会社の仕事でプレゼンやる身としても大いに参考になった。こういうの往々にして「練習・シナリオ通り」に喋ろうとするあまり、どうしても早口になりがちなのだが、一言一句正しく発音することによって(唇を動かすという動作も伴うためもあろう)抑制される。妻は「子ども達の反応に対する臨機応変の対応に驚いた」……いやそれもプレゼンでも求められる能力。エピソードや小ギャグは聴衆の興味を保つ。
 
さて終わって娘の曰く「オデ次はライブ行きたい」
 
ナヌ?

2011年10月15日 (土)

それは本当に身体にいいのか【3】

【2】で出てきた色々の用語解説
 
●リラクセーション信号
……出てこないんですけど
リラクセーション(relaxation)とは、リラックスすること。
交感神経の興奮が抑えられ、副交感神経の働きが優位になっている状態になること。緊張が解かれている状態。
(Wiki)
ということは「リラクセーション信号を送る」とは、副交感神経の働きを高めるような信号?
 
で、これは要するに、身体がリラックスするように種々の手法で持って行くことを指すようです。端的には音楽を聴く。手法的には例えば「自律訓練法」(腰掛けて目を閉じ「気持ちが落ち着いている」などと自分に言い聞かせる。自己暗示に近い)など。
 
●抗重力筋
読んで字の如く身体の中で体重を支えるのに主たる働きをしている筋肉。背中(脊柱起立筋)、腹(腹直筋)、尻 (大臀筋)、太もも(大腿四頭筋)、ふくらはぎ(下腿三頭筋)など。「抗重力筋群を中心に介入」とは、この辺に手を当てたり、マッサージをしたりと推察できる。
 
●認知行動療法
「クライエントの不適応状態に関連する行動的、情緒的、認知的な問題を治療標的とし、学習理論をはじめとする行動科学の諸理論や行動変容の諸技法を用いて、不適応な反応を軽減するとともに、適応的な反応を学習させていく治療法」
さっぱりわからん。
「情緒や行動に影響を及ぼしている認知的要因を積極的に治療標的として扱う.また,それらを適応的な認知へと変容していくことによって、情緒の安定や行動の修正を効果的に行っていくことを目的としている.さらに、考え方が変わることによって、気分や行動は変わるということをクライエント自身が繰り返し経験することを通して、「自分の考え方を変容していくことによって、情緒や行動をコントロールすることができる」ということを自覚できるように促していく.すなわち、認知行動療法とは、セルフコントロールの獲得をねらった治療法である」
なるほど。
これは上記自律訓練法と繋がる部分があって。
要は「そうなってしまう現象」を素直に認め、そして、どうしてそうなってしまうのかを理解し、更に進めて、ストレスの要因になっているモノに対して別の見方をしてみよう、として、「そうなってしまう」のを緩和して行こう、というもの。
 
●マインドフルネス
「禅の「瞑想」を西洋風に解釈したのがマインドフルネス」
ほえ?
「今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに自覚し、それに対する思考や感情には囚われないでいる心の持ち方、存在の有様」
そりゃ「悟り」だ。
高尚すぎるのでもう少し卑近にする。「月輪観」(かちりんかん)という考え方が密教にある。まるい月見て落ち着く方多いと思うが、それをもう少し進めて、心の中に月をイメージするだけで落ち着きを得ようとする瞑想法である(やってみると判ると思うが案外やりやすい。ウサギ飛び跳ねさせてOK)。
 
……以上並べてみると「ホメオストレッチ」とやらは心身相関現象を逆手に取ったモノであるらしい。

2011年10月14日 (金)

立ち会い出産~それからの9年・子育ての9年~

↓続けてきた体験記、原稿用紙に換算すると25枚ほどございます。一度に載せても良かったのですが、別掲、「ココログ小説」に投げるに際し「1回800字程度」というお約束があったので、携帯端末で見ることを前提に小分けした次第です。
 
さてこれは元々病院のサイトに載せていた物で、院長氏から色々コメント戴いて(^^)vしてた記憶がありますが、出産というのは文字通り人生の始まりに過ぎないわけで。
 
・新生児は昼夜の別なく3時間ごとにミルク
・寝るのは寝たいとき
 
「そこまで」よりも「ここから」の方が長かったのは当然の話であります。 
1
(近所で)
まぁ夫婦二人で赤んぼ一人に往生しました。振り返れば思い出話ですが、本文中にもあるように「一族郎党」がニンゲンの家族・子育てとして本来あるべき姿なんだ、と再認識した覚えがあります。
Dsc00025a
(サツキとメイの家@愛知万博・・・何のマネかわかりますよね)
だから、ご両親(子どものじいちゃんばあちゃん)のヘルプは仰げれば仰ぐに越したことはないし。
何より日常の子育てに夫の協力は絶対不可欠です。ぶっちゃけ、オッパイ以外のことは父親でもできるわけですから。ナニ?おむつ交換は勘弁?半分自分の遺伝子じゃねえか。奥さん孤独にすんなや。
もちろん、そのためには、赤ちゃんが恵みと祝福の中で産まれてくる必要があります。できちゃった結婚はその面からも歓迎できない側面を残す、と言えると思います。
Dsc00952
(カゴ・箱・狭いところ大好き・・・ネコか君は)
落ち着いたのは2歳になった頃かと思います。這えば立て、立てば歩けの・・・と申しますが、這えばイタズラ、立てば落とすし、歩いてどこ行くちょっと待て、が実のところかと。ただ、好奇心のままにある程度はさせたい放題しないと、妙に視野や活動バリエーションの少ない子どもになってしまう。そんな気もします。臨機応変さじ加減というわけですが、それには育児マニュアルではなく、観察と自分自身の意志が求められます。「その子にとって」大切なのは何か、それは親であるあなたにしか、結局判らないのですから。それが判ることはそう、あなた自身が「人の親」として育ったことに他なりません。2年は長い?でも誰かの親になる事、それはニンゲンとしての根源的使命の一つではありますまいか。
 
あなたと、あなたの家族に幸あれ。

2011年10月13日 (木)

立ち会い出産体験記【12・最終回】

【奥付】へ 産声が響きます。初め小さく、徐々に大きく、そして次第に力強く。これなら5分後アプガー指数も悪くない(んなこと考えていたのだからやっぱり取り乱していない)。
スタッフと妻に促されて臍帯を切断します。その瞬間、私たちの娘は、母の体から離れた。
そうたった今、たった今、バトンを受けた小さな命が歩き出したのです。泣き声が呼吸を促し、…恐らく体内では肺呼吸への転換と、不要になった血管の閉塞が進行していることでしょう。チアノーゼ状態だった顔に見る間に赤みが差してゆき、独立した人間として、彼女の生命維持システムが作動開始したことを高らかに、神々しく、私たちに教えてくれます。「足して2で割った顔だよ」確か私はそう言って笑ったはずです。
今にして思えば、あの時の涙は、この肉体が、人間の生物としての本質であるこの身が、自分の子孫の誕生に際し、遺伝子に刻まれた情報に基づき流させたような気がしてなりません。確かに安堵、すなわち、生まれて良かった、そして妻が痛みから解放されて良かった、という気持ちはありました。でも、それ以上に、この身、遺伝子で動かされている私の肉体生命そのものが、新たな命の誕生を喜び、涙でそれを表現している…生き物の本質的反射作用という気がしてならないのです。まぁ人間にだって一つや二つ、脳と意識を経由せず、その制御が効かない反射作用があってもいいじゃありませんか。だって人間も生き物なんですから。
さて赤ちゃんが一通りの処置を受け、妻の…母の両手に抱かれる瞬間がやってきました。
この時の安堵と喜びに満ちた妻の表情を私はなんと表現すればよいでしょう。
大きな花が開いた。いいえ、太陽が輝いた。命がきらめいた。
これも多分、意識が作った笑顔ではないでしょう。やはり遺伝子が生み出した笑み、子どもを迎え、そして喜ぶ「母体」の笑みです。その瞳は陽光を反射する水面のようにブリリアントな光を放ち、妻と子の周囲だけパッと明かりがともったよう。オーラが見えるという人、誰かいませんか?
祝福を、感謝を、私は私の妻と新しい私の家族に捧げました。妻よありがとう、そしてお疲れさま。娘よ初めまして、私たちがあなたの親だよ。
 
我が家にようこそ。
 
良かったね。本当に良かったね。
【奥付】へ

2011年10月12日 (水)

立ち会い出産体験記【11】

→【12】へ
 
「赤ちゃんの頭が見えてきたよ」
素晴らしい言葉が私たちを包みました。私はもう妻が、いちいち指示せずとも自分で看護婦さんの言葉を咀嚼し、行動に移せることに気づきました。
最終工程です。天からの贈り物を届けてくれるのはドクターでした。麻酔処置を施し、吸引分娩のシステムが作動します。そして程なく、羊水が満ち潮のように、そして新しい命のスタートを先導するかのように、勢いよく、産道から流れ出します。
赤ちゃんの頭が出ます。目に見えぬ何かの力が作用したかのように、なめらかにその頭が回転します。
最後の回旋。
「もういきまなくていいよ」
妻は教わったとおり、両腕を胸に乗せ、ファーファーと声を出しました。
赤ちゃんが、するりと、妻の体を、離れました。
「生まれたよ」
私は言いました。次いで
「良かったね、おめでとう、生まれたよ、女の子、16時41分」
用意していた言葉ではありません。勝手に出てきた言葉です。
同時に私の意識に反抗するかのように、目からこみ上げ、あふれ出す液体。
別に感動したとか、特別な形容詞で表現される感情があったわけではありません(赤ちゃんが産声を上げ、妻が無事であるかを気にしていた)。でも、でも、なぜか、なぜか、涙腺から液体が溢れ、流れ出してしまうのです。ここに生まれた小さな命。今スタートラインに立った小さな命。母から確かにバトンを受け取った小さな命。
私たちの子ども。
赤ちゃんが羊水吸引の処置を受けます。その間に私はビデオカメラをスタートさせ、看護婦さんに撮影を依頼します。そう、私は取り乱してはいないし、我を失っていたわけではないのです。でも、でも、涙が止まらない。ぼろぼろぼろぼろ勝手に流れて止まらない。意識は全く正常なのに涙が制御できない。
→【12】へ

2011年10月11日 (火)

立ち会い出産体験記【10】

→【11】へ
 
「さぁゴールだよ。もう少しだからね」
私たちはゆっくりと分娩室に入ります。既に身も心も極限状態。
事前のバースプランで、私たちは「音楽」と「ビデオ撮影」を希望していました。しかしその時の正直な心境といえば「んなものどうでもいい。早く生まれて欲しい。妻を楽にしてあげたい」
妻が音楽も聞けないような状態であれば私は実際そうしたでしょう。でも、妻はきちんと意識を保っていました。誇り高き母の目で私を見ていました。
これなら行ける。私はお母様にお願いし、用意してきたカセットテープを看護婦さんに渡してもらいます。流れてきたのはENYA。
ENYA…実は私たちが知り合ったきっかけはインターネット上の絵描きさんのHPでした。そのHPでBGMに使っていたのがENYAだったのです。
聞き慣れた音…妻はそれに意識を向け、パニックに陥ろうとする己れを押しとどめたと言います。音楽は理性を越え、意識の状態に関わりなく、感性に直接訴えかける能力を持ちます。それがここで、最終局面で、妻に落ち着くよりどころを与えてくれたのです。
心拍モニターが再度セットされます。ラストスパートです。私は看護婦さんの「陣痛が来たら、2回深呼吸して一番痛みが強いところでいきむ」という言葉を受け取り、「深呼吸、いきむ、ストップ」と、個々の動作に分解して妻に伝えます。深呼吸、いきむ、脱力。
再び繰り返す時間が始まります。しかし今度のそれが短いことは火を見るより明らか。それが証拠に赤ちゃんの心拍数は100前後で推移しており、連続的に負荷がかかっている…すなわち産道内を出口へ、私たちの所へ、その間近まで来ていることを示しています。
「もうすぐ、もうすぐ」私は何度も言いながら、汗を拭き、水分を補給し、いきむ妻に手を貸します。
程なく、いきむ時の姿勢を変えるよう看護婦さんから指示があります。両腿を抱え、体を曲げ、へそのあたりを見るようにしていきむ。
→【11】へ

2011年10月10日 (月)

立ち会い出産体験記【9】

→【10】へ
 
「もうやだ」
妻の口から弱音が漏れます。それに対して私は「がんばれ」などとは言えません。なぜならもう妻は充分すぎるほどに頑張っているからです。本当に全身の筋肉をふるわせて頑張っているからです。看護婦さんが言います「よく頑張ったね。もう充分だよ。だからどうしてもだめなら切開に切り替えるから言ってね」
妻はこの時、切開しようかと一瞬本気で考えたそうです。でも再び、なにくそ絶対に生んでやる。目一杯いきんで生み出してやる、と思ったとか。ここまで来て…という気持ちもあったようです。
なにくそ…今にして思えば、この妻の「怒り」「奮起」が分娩台への最後のエネルギーを与えたような気がしてなりません。ご承知のようにお産のエネルギーは「怒責効果」と呼ばれます。痛いほどの筋肉の圧縮と、怒りにも似たいきみという動作の合力が、子どもを押し出すのです。これは言い換えるならば、肉体に最も大きな力を引き出させる原動力である「痛み」と、精神に最も大きな力を引き出せる「怒り」(時に憎悪)とが同時に作用し、子供を産みだしているわけです。文字通り人間を人間たらしめる身と心…全身全霊の全てを込めて、人間の全てで人間を生み出すのです。その精神のエネルギーである「怒り」が今妻に与えられたのです。
いきみによる子どもの進行は目に見えて加速しました。もちろんそれでも遅々たることに変わりはありませんでしたが、無駄な力の浪費は減りました。私は看護婦さんと共同で、陣痛発作後子どもの心拍数が最も早く回復する体の向きを探し、さらに発作が終わると必ず「深呼吸して」と声に出して妻に深呼吸をさせ、子どもの心拍回復を促します。「判る?この子一緒に頑張ってるよ。ずっと心拍140前後のままだ。頑丈な子だよ。だから大丈夫、絶対に行ける」私は何度となく妻にそう言い、妻はうなずいていきみを続けました。そして夕刻に近い頃、いよいよ分娩室のドアが開きます。
→【10】へ

2011年10月 9日 (日)

立ち会い出産体験記【8】

→【9】へ
 
再びこれを繰り返す時間が訪れます。痛みは文字通り極限です。痛みが去った後、激しい筋肉の収縮で体の熱が奪われるため、震えと寒さが妻を襲います。布団を何枚も掛け、さすり、水分を与え、痛いという腿を体重をかけて拳で押します。後に判ったことですが、この痛みは男が体重をかけて拳で押して、それでやっとこどうにか和らぐほどのレベルだったそうです。ここにもう一つ、男…夫の存在理由があります。こうなると出産における夫は「立ち会う」存在ではありません。文字通り妻と力を合わせて子どもを迎える「共同」出産者です。寒がる妻を男の大きな手でさすり、必要とあらば抱きしめて加温し、妻がいきむために掴む腕を提供し、痛みや内診で寝返りを打てない妻の口に口移しで水分を補給する。夫でなくて誰ができますか。
痛みといきみの時間が続きます。子宮口は遅々として開きません。「これで正しいの?赤ちゃんは降りているの?いつ分娩台に移れるの?」妻が不安と弱気を口にします。私は次のように説明します。「まず腿の痛みがある。これは赤ちゃんの頭が骨盤近くの脊髄を圧迫している証拠。次にいきみたいという気持ちが生じた。これは赤ちゃんの頭が便を催す時と同じ神経を刺激している証拠。だから赤ちゃんはちゃんと下がってる。次にあなたがいきむと赤ちゃんの心拍数が下がる。これは赤ちゃんに力が加わってストレスになっている証拠。つまりいきむ力はちゃんと赤ちゃんにかかってる。少しずつだけど進んでる。いつ分娩台かは今すぐには言えないけれど、ちゃんと進んでる。痛いけどこれ以上ひどくなることはない。この最高の痛みにあなたは耐えている。そして今までかかった時間よりも確実に今後要する時間の方が短い。だからいまの呼吸といきみを続けよう」
妻は納得したのか小さく笑い、そのまますっと寝入りました。
その時の表情を私は忘れません。なぜならそれは強くたくましい母の顔だったからです。力を込めて、文字通り全身の力を込めて、血を流し、涙を流し、身を傷つけながら、それでも我が子を命をここに生みださんとする強き母がそこにいたからです。「いい顔してる」私は思わずつぶやきました。
激痛が来ます。妻が体をのけぞらせ、次いでぎゅっと縮めます。いきませ、力を抜かせ、水をあげます。
繰り返し、繰り返し、途切れずに、何度も。
→【9】へ

2011年10月 8日 (土)

Combined Exhibition of Advanced Technologies

★立ち会い出産の続きはここ
 
Pa080061
略してCEATECと。
見てきました。電子部品・デバイス&装置ステージとデジタル・ネットワークステージに分かれていて、すっげーてれびとかケータイはデジタル・ネットワーク
 
なんだが。
 
今年はここから書いて行きましょう。
 
●KDDI
Pa080062
ここもiPhone出しますよとアナウンスがあったのはご承知の通りで。
しかし端末の展示は無し。ともあれ皆さん最大の関心事である「庭のリンゴは途切れないのか」説明員に訊いてみました。なお、文言は一般向きにしてあります。
 
Q:受信性能みんな気にしてると思うんですが、実用テストなどはされてるんでしょうか?
A:正直我々営業の前線サイドまで情報降りてないんですよね。ただ、サービスエリアで快適に使えることは確認した上で、とは言えると思うんです。
 
そりゃまぁソフトバンクの電波状況を揶揄ったCMやってるくらいですからね。「庭でもダメ」で出すわけがないと言えるでしょうか。
 
はい、庭のリンゴに関する情報は以上です。期待はずれですんません。が、ここまで情報が無いのもリンゴらしいというか。おいジョブス、草葉の陰で見てるんだろ?大丈夫だろうな。
 
Pa080063
その他「新感覚スマートホン」曰く押し具合に応じた反応が返るとか。
Pa080064
指置くじゃん。パネルが部分的にぐいって押し返してくるじゃん、それ反抗して尚押すと確定する。みたいな。
「指をずりずり動かすと扱いやすい」と言うけど、常時ズリズリしていじってる人いる?ってか物理的なアクチュエータを載せた端末は電力食うよ。
Sn3n0128
ビジネススマートホン。パンテック(韓国)まぁ「ベンチマーク」してるんだろうねって出来。
Pa080066
モトローラの端末は感度が良すぎて扱いづらい。触れるか触れないか位で反応してしまう。
 
●ドコモ
Pa080067
サクサクがご自慢の富士通のタブ。でもね、指を置く、考える、反応する。みたいな。反応してから後は早いんだけどね。なんだろ「直接つまんでる」感覚はりんご電話やりんごパッドに一日の長あり。
Pa080069
サムチョンの銀河。これも同じく早くする場所が何かずれてる。こう、ズームアップしようと思って指ガッと広げるじゃん。するとその動き追いかけるようにぬるぽと広がるのよね。チョンだからどうこうじゃなくてOSだろうね。

★電子部品・デバイス&装置ステージ
以下エリア別でふーんと思ったモノ
Pa080070
非接触給電は鉄道ICカードなどでおなじみだが、「共鳴」を使ったところがミソ。共鳴すなわちエネルギのキャッチボールで、従前の非接触「下手な鉄砲・・・」とひと味違う、と。
Pa080072
ムラタの超小型セラコン。え?写ってないって?写ってるよ2画素分くらい(笑)
Pa080073
MOS-FET。写ってるよ。
Pa080075
ロームの抵抗器。砂時計の中身。マジ実装デバイスどうするんだい。
Pa080076
イベント、ロボット相撲。人一杯。
Pa080078
県別。茨城のコーナーにはつくば市で使ってるこやつ。
Pa080077
自賠責入ってますシール。切ねえなぁ。
Pa080079
少なくともこの業界に「韓流」は来てない。
 
★デジタル・ネットワークステージ
Pa080080
お子様もちらほら。ロボット製作とかイベントが少々あるので。
Pa080081
「技術の日立」の節電テクノロジー。見たまんま。わかりやすい。本質的。
Pa080082
裸眼立体4K2K。でも特に並ばない。
Pa080086
東芝4K2Kのモデルねーちゃん。コーカソイドだから産毛も目立ってよく見える。じゃぁでもこれでひな壇ワイプのお笑い芸人見るかって話さ。
Pa080083
イベント初登場掃除機ロボットルンバ。ゴソゴソ這い回るパンケーキ(身もフタも無い表現)に子供達興味津々。
Pa080087
パイオニア。ARで曲面ディスプレイに色々表示されるナビ。
Pa080088
三菱電機。半球体に有機ELぺたぺた貼り付けたモノ。これと同じ。
Pa080090
人工衛星の固体増幅素子(そりっどすてーとぱわーあんぷ)・・・実は今回のCEATECで一番ギジュツ的に内容がゴツいの三菱電機。
Pa080092
パナは蓄電に気合いが入っていた。
Pa080093
ソニー。3Dをみんなで見るとこういうことになる。ダセェ。
Pa080096
ソニエリ。指よりソフトキーの方が小さいんですけど。
Pa080097
ただ表示はスマホの中で一番自然。
Pa080094
シャープ。4K2Kモニタに現行ハイビジョンをアップコンバート。信号以上の実力を持つ媒体がより良く表現するのはNTSCの頃から知られた話。
Pa080095
ジョブス先生。「iBoard」はシャープが作りました(笑)。って持ち歩くわけが無い。
Pa080068
さりとてタブ用に映画のDL販売されてもなぁ。
 
こんなもんか
 
●まとめ
民生用を一言で書くなら「全部既に知られたもの」。いーや切って捨てる。これ出張報告書けとか、学生にレポート書けとか、酷。例えば4K2Kの前に現行のザラザラ液晶何とかしろよ。
むしろ衛星機器とか測定機器とか、日常目に出来ないモノの方が面白い。
サムチョンの席巻にびびってるか知らんが、マネしか出来ない所を恐れて自らマネ企業に成り下がるな。
 
ジョブスの言葉を知ってるでしょう。
「人を気にするな。自分が目指す理想は自分の中にあるのだから」
「ハングリーであれ。愚かであれ」
初心に返ろう。

立ち会い出産体験記【7】

→【8】へ
 
でも事態の進行はあくまでゆっくりです。もどかしい気持ちで見上げた時計から感じる膨大なまでの時間の流れ。その中で妻には痛みが数え切れないほど繰り返し繰り返し訪れ、そのたびに顔をゆがめ、額に汗が玉をなします。でも、それでも理性を保持し、リズムを守って呼吸を繰り返します。いつ果てるともなく繰り返し訪れる痛み。先が見えず苦しみだけがある。避けようにも向こうから訪れる。その気持ちはどんなものでしょう。健気であり、同時にあまりにも過酷です。我が子に早く出てきて欲しい、そう願わずにはいられません。
痛みの訪れにあわせて呼吸法を実践し、去ったら力を抜かせるという時間が続きます。ウーロン茶を飲ませ、汗を拭き、肩や腕をほぐし、インターバルがわずかに長い間は眠らせる。その睡眠はわずか数分、いえ数十秒かも知れません。でも眠れるなら眠らせたい。
昼を回りました。
新しい変化が体に現れます。「いきみたい」という気持ちが妻に生じたのです。それは子どもの頭がまた少し骨盤の奥へ進んだ証拠。
「着実に進んでいるから。ゆっくりだけど、大丈夫だから。切らなくていいから」
私は妻に言い聞かせ、看護婦さんに確認の後、呼吸のサイクルにいきみの部分を加えます。
痛みが来ます。まず腰椎の刺激により腿に痛みが生じ、次いで妻の体が目に見えて判るほど小さくなり、腹部が鋼のように堅くなります。それは文字通り全身の筋肉を収縮させて力とし、子宮への加圧に参加させている証左です。感覚的には立って両手をバンザイの形にした状態から、その手を体にぎゅっと引きつけながら同時にしゃがみ込み、力を全て声にしてみる…その動作に近いのでしょうか。
そして妻は私の両手を血が止まるほどに強く握り、力を腹部に加えます。この時声を出すと、力が声となり、腹部にかかる力が減じるので良くないのですが、それでも声は時に口を押し開いて出てしまいます。それを制し「声を出さない!」と強く言います。力と共に顔面は見る間にチアノーゼを呈し、額は汗で濡れ光ります。「力抜いて」再び強く言い、握った手をブラブラと動かして脱力を促します。
→【8】へ

2011年10月 7日 (金)

立ち会い出産体験記【6】

→【7】へ
 
さて妻は目が据わっており、医師の説明も右から左へ通過状態だったようなので、ここで今一度診察と処置について説明をします。
 
陣痛が進まないのは骨盤サイズに対し子どもの頭が大きめであるから
人工的に破水させ、陣痛が強くなるように促した
これ以上進行が無理な場合は帝王切開する
 
「切る」
帝王切開という言葉に妻はこう呟き、少し考え込みました。でも大きさ的に通らないものを無理矢理通そうとするのは危険だ、この選択肢も考慮する必要がある。私は妻に明確に説明しました。切るというのはショッキングに響くかも知れません。でも無理矢理は母子共に危険にさらすだけです。
ちなみにこの時、「なにくそ!」と思ったと妻は後に述懐しています。敗北のような気持ちがあったし、切ったあとの痛みが怖かったからだそうです。
さて以上の説明をよく飲み込んでもらった頃、処置前を上回る強くて長い陣痛が去来し始めます。
医師の言葉通り、破水により一つ事態が進んだのです。
痛みに合わせて呼吸法を口にします。看護士さんに確認し、正しいことを確認しながら、「フー・ウン」を行います。お腹には胎児の心音をキャッチするセンサーを付け、常時監視状態。ちなみにそれが心拍センサーであることは、そのリズムからすぐに判りました。超音波診断の際に聞いたことがあったからです。
痛みがどんどん強くなります。インターバルが短くなり、痛い時間が増えてゆきます。
この頃からお腹以外の場所にも痛みを訴え始めます。腰の痛み、腿の痛み。
子どもの頭が腰椎を刺激しているのです。腰椎に納められた腿へ行く神経が圧迫され、痛くない腿に痛みが生じているのです。ちなみに私は椎間板ヘルニア持ち。痛みのメカニズムは全く同じです。こうしてみると腰痛になったのも損ではなかった?
それはさておきこの痛みは子どもの頭が進んでいる事を示します。骨盤に中に入ってきています。切開する必要はない。私は確信します。
→【7】へ

2011年10月 6日 (木)

立ち会い出産体験記【5】

→【6】へ
 
しかしそこからが進みません。陣痛が強くならないのです。持続時間も長くなりません。
妻は次第に憔悴し、意識が焦点を失い始めます。
夫の出番です。
まず、今の状態を説明します。子宮口が全開するまでの「第1期」に相当し、赤ちゃんが骨盤に入るために頭の向きを変えようとしているあたりであると、両親教室のテキストを持ち出して説明します。そして、とにかくここは長丁場であるから、先を考えず、今の呼吸法を維持することに専念するよう伝えます。
でも、結局夜が明けても状況に変化はありません。そこで再び診察を受け、なぜ陣痛が進まないかの理由が明らかになります。
骨盤に対し子どもの頭が大きめなのです。
状況によっては帝王切開もあり得るとの説明を受けると共に、人工的に破水させ、陣痛を強める処置を受けます。
そして、陣痛室に戻った時でした。
「母」が命の源であると、頭でなく体感する瞬間が訪れました。妻の座ったベッドが濡れ、羊水を嗅覚で感じたのです。
それは生理的食塩水と全く同じ、薄い海水そのものであると燦然と判ったのです。
頭がくらくらし、脳の中で何かがキラキラ輝き出すような気持ちでした。40億年にわたる地球生命の歴史と、目の前で新たな命を生み出そうとしている母親が、ここで一つにつながったのです。地球の生き物は元来海で育ったが故に、生命をはぐくむ場として陸上に海を持ち込んだ。それが羊水だ…生物史に書いてある言葉を、ここに体現している女、妻がいたのです。この母性は連綿と続く生命40億年の歴史の最先端にいま存在し、受け継がれてきた命のリレーを、女性だけに許された高貴なるリレーを、たった今ここで行おうとしている。
 
「海の中には母がある。母の中には海がある」(「海」の字の作りの部分に注目)
 
じ~んと感動している余裕はありませんでしたが、私にとってこの認識は、40億年目の新たな命を生み出してやろうという新たな、そして大いなる力となりました。
→【6】へ

2011年10月 5日 (水)

立ち会い出産体験記【4】

→【5】へ
 
いよいよと思い病院に電話を入れたのは10月8日の午前3時。「2~3分おきに痛い」と言い始めた時です。それは「10分に一回或いは1時間に6回以上。持続時間が…」というテキストの記述とは異なるものでしたが、素人判断と予見は禁物、病院に事情を伝えると「来てくれ」となりました。どたばたと用意していた荷物をクルマに積み、妻のお母様と一緒に夜道を安全にぶっ飛ばします(こらこら)。
結局それも前駆陣痛の一種で、夜明けまでには治まってしまったわけですが、診断で子宮口が開き始めたと分かり、そのまま入院しました。
そして朝食後、いったん治まっていた痛みが再び始まります。これが結局出産まで途切れることなく続くのですが、陣痛の定義である「1時間に6回以上或いは10分に一回」までは到達していませんので、母子手帳に書かれる分娩時間にはカウントされません。しかし私たち夫婦は、これ以降出産までの時間を「出産に要した時間」として知人には説明しています。これは痛みが存在し、夫婦共に一睡もしていない時間を意味します。そう、定義に入らない時間でも痛みは存在し、睡眠はお預けなのです。ちなみに妻だけを見ると、7日の早朝から前駆陣痛により1時間以上の睡眠は取れていませんので、ほぼ60時間満足に寝ることなく出産を迎えたことになります。
8日午後に診察を受けます。子宮口がさらに開いており、夜に陣痛が強まれば、よい形で出産へ向かうでしょうとのこと。この時にはまだテレビを見、食事を採る余裕がありました。
痛みが来た時の妻の声が変わってきたのはその晩のことです。
明らかに痛みが強くなっており、一回の発作で痛みが持続する時間も長くなっています。やや不規則だった発作の周期も確実かつ短くなっており、いよいよという気を強くします。
深夜になり陣痛室へ移動します。いよいよという感はさらに高まります。
→【5】へ

2011年10月 4日 (火)

立ち会い出産体験記【3】

→【4】へ
 
とにかくよく話し合い、互いに知識レベルを同等にしておくことにつとめました。なぜならその方が後々何か説明するのに理解が早く、不安や恐怖を減らせるに相違ないからです。そして特にその課程で何度も言ったのは
 
・「陣痛」と言ってもただ痛いだけではないし、出産の課程全てが業苦の塊ではないこと。
・「痛い」という思いこみ、不安、緊張が筋肉をこわばらせ、痛みを増幅している部分が大いにあること(テレビの馬鹿馬鹿しい演出がこれを助長している面多大)。
 
です。加えて、人類は過去500万年これをやってきたこと。痛みは波が寄せては返すように強弱を繰り返しながら、次第次第に強くなるので、いきなり激痛が来るわけではない、とも言っておきました。
そして臨月、予定日10月6日の4日前、2日のことでした。「お腹が痛むようになってきた」とのメールに、仕事ほっぽり投げて「のぞみ」に飛び乗り、妻の実家へ向かいます。いわゆる前駆陣痛の可能性が高いことは判っていましたが、天下御免で会社をさぼれるし(笑)、何より妻にとって初めてのことですから、不安が一杯に相違ありません。それに何より私自身、不意の変化が気になって仕事がおろそかという部分もあり、そばにいることにしました。
到着後、予想通り(?)腹痛はすぐにおさまり、そのまま数日は平穏に過ぎました。ただこの間お腹の重みが無くなる、胎動が少なくなるなど、テキスト通りの変化があり、「もうすぐ」ということは判りました。ちなみにその間、妻は呼吸法の練習と、骨盤の動きを柔らかくするための散歩を毎日続けました。
→【4】へ

2011年10月 3日 (月)

立ち会い出産体験記【2】

→【3】へ
 
妻に最初に妊娠を告げられた時、出産に立ち合うかどうかは、まだ迷いがありました。その場にいたからといって痛みが消えるわけじゃなし。現象は全て妻の体の中で進行するのであって、外にいる自分がどう役に立てるのか判らない。そして何より、苛酷なはずの現場にいて「見て耐えられるのか?」という懸念があったためです。
しかし、妊娠が進み、妻に重いつわり(輸液数回)や貧血、切迫早産などの危機が次々訪れたこと。また、買ってきた市販のテキストに、「立ち会い」で夫はそばにいるだけでなく、できることは沢山ある、と知るに及び、この妻に無事出産させてやろう。この子を無事迎えてやろう。そのためにはできることは何でもやってやろう、という気をどんどん強くして行きました。
さて、立ち合うと決めたからにはまずは勉強です。市販のテキストをはじめ、産院のHPやネット上の書き込みを見たり、自分の母親の体験談を聞いたり。もちろん両親教室へも参加しましたし、更には何故か会社の図書室にあった看護学の本にも目を通しました(情報技術と家電の研究所になんでそんな本があるのか全く不明※)。このうち、その何故かあった看護学の本は、まぁ当たり前ですが最も詳しく有益でした。出来事を美辞麗句を用いず淡々と書いてありますし、市販のテキストでは書かれないリスクやその対処法も載っています。また、出来事の写真が掲載されているのもビジュアル的に予め把握しておくのに大いに役立ちました。
次に、これら情報を元に、妻と色々話をしました。全体の経過、所要時間、痛みのレベル、経験者の言葉、自分の役割すなわちそばにいて行うつもりの内容etc。
→【3】へ

2011年10月 2日 (日)

立ち会い出産体験記【1】

→【2】へ

●はじめに
 
このページにアクセス頂きありがとうございます。このページは自サイト「創作物語の館」に搭載していたものを、昨今の携帯端末の普及に合わせ、ココログに転載するものです。もちろん、「ノンフィクション」です。
 
2002年10月9日夕刻、名古屋市内の産婦人科「アイ・レディスクリニック」
 
http://www.youandai.com/
 
において、私たち夫婦の間に第一子、娘が誕生しました。
伴い私は一週間会社を休み、前駆陣痛の初来から30時間以上、妻と共に過ごしました。そして、我が子のへその緒を自らの手で切り落とし、ひとりの人間として旅立たせました。
 
それは我が子の誕生、新しい人生の始まり、自分が父親になった瞬間であると共に、遠く38億年前からこの星で連綿と続けられてきた「命のリレー」が、今まさに目の前で展開された、その末端にして最新の瞬間でもありました。それは、子孫を残すという、地球生命として共通にして最大の責務を、我々夫婦も果たしたのだ、という、深い感銘をもたらしました。
 
その気持ちを、「書き残したい」「記録しておきたい」と思うのは、文字を駆る趣味を持つ者として当然の感情、或いは義務感だったかも知れません。
「お父さんの体験記を是非に」
クリニック側の意向も手伝い、時系列に沿って出来事と気持ちを並べたのが、この「立ち会い出産体験記」です。元々「夫が出産に立ち会って当然」というコンセプトの産院ですが、「父親」のそうした記録が寄せられたことは多くないとか。なら私が、というわけです。
 
今読み返すと表現文体等、やや稚拙な感が否めない部分もありますが、それらも含めて、そこに封じ込まれているのは、当時の私のストレートな感情です。ですので、ヘタに手を入れることはせず、そのまま掲載します。なお、本体験記はクリニックのサイトに数年間掲載され、際しては院長殿にコメントを頂戴しました。今般コメントの転載について院長殿から許可を戴いたため、含めて、ここにご紹介します。
 
これからママ・パパになる皆さんへ。
そして「自分はどうやって生まれてきたのか」「なぜ生まれてきたのか」知りたい君たちへ。
特に夫!。あんた読め。そして妻からコールが来たら、クライアント投げ出してでも、上司ぶん殴ってでもすっ飛んで行け。それでグタグタ言うようなクライアントや上司なんか捨てちまえ。
その理由は、ここに書いてある。「立ち会う」とは「ただそこにいる」という意味ではない。
 
2011年。娘の9歳の誕生日に。
こうやって、君は私たちの家族になった。
Atmyhand
【2】へ

2011年10月 1日 (土)

スケベ心とデリカシー

制服少女のミニスカートが、腰の部分をくるくる巻いてベルトで止めて作ってあることは知識として知ってはいた。しかし目の前で実演されるハメになるとは。

電車に乗って椅子に座ったら、その娘は目の前に立った。そしてやにわに上着の裾をまくったかと思うと、おへそも露わにスカートの丈をいじりだしたわけだ。

まじまじと見るわけに行かないし、目を逸らすのも露骨な気がしてなんだかな。幸い携帯電話をいじっていたのでそれみて気付かぬふりをした。

すると。

その娘スカートの調節終わると、今度は前かがみになって足もとのカバンをゴソゴソ。

ラッキースケベという言葉があって、意図せぬ予期せぬ眼福現象を言うが……すんません胸元全部見えてますがな(妻の勝ち!)。

話し終わらなくて。

この娘、数日してまた同じ電車になって、今度はスカートの上から尻をガリガリ掻いてやんの。

誰かがあなたを陥れようとしている はい いいえ

イヤなら見るなは自分の意志が行使できる。
しかし見えても見るなはちょっとなぁ。

ちなみにジェンダーフリー叫ぶ人々はレディーファーストの枠を越えて女性有利を主張し、「男っぽさ」を否定し貶めようとしているが。

男の中の男こそは女性を最も大切にする存在だと思うが。

まぁ、彼女が、オレを男と意識していないという説が最も有力ではある。

(このネタは短いお話しに昇華しそうだ)

« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック