14-15世紀・東北地方?
「貞観」と「平成」の間に15世紀室町時代あたりとなるんだが、1361年正平南海地震・1498年明応地震はあっても、東北地方のものは記録が無いんだな(by理科年表)
じゃぁってんで関東地方で津波を探すと1408年鎌倉・1433年利根川の逆流とある。
でもそれだけ。
少し範囲を広げて伝説レベルにすると、津軽五所川原「十三湊遺跡」(とさみなといせき)が引っ掛かる。遺跡そのものの実在はOKだが、1340年に発生したという津波の痕跡がないのだ。最も、位置的に日本海側であるから、仮に津波が生じたとしても、1983年日本海中部地震と同タイプという見方の方が説得力がある。
「津波は虚偽。はい論破」
いやいや。
調べていただくと判るが、この十三湊はフェニキアみたいな国際交易都市国家の様相を呈し、日本海沿岸諸国と取引があったという。
で。
例えばヨーロッパ。古代ローマの時代のウワサにこんなのがあった「ずっと北の方に、火を噴く氷に覆われた夜の無い国がある」……ミステリアスだが、白夜のアイスランドの氷河に覆われた火山と言えば何ら頓狂な物言いでは無いことが判る。
同様の情報収集力は広域な都市国家には必然として備わっていたであろう。そして、実際には太平洋側で起こった出来事の伝承が、後々十三湊そのものの興亡と取り違えられたのだとすれば。
もちろん、実際には時期的に近い正平地震の津波伝承が遠く機内から届いたのかも知れないし、そもそもそんな中近世に「全国のどこにも記録の一筆も無い」ほどの伝承能力の無さ、或いは壊滅状態が生じたとは考えにくい。
やはり何も無かったのか。
理科年表を繰って行くと、東北地方の津波・地震はこんな感じで出てくる。
869 M8.3(貞観地震)
1611 M8.1
1616 M7.0
1677 M7.5,M8.0(延宝地震)←時間差で発生?
1710 M6.5
1717 M7.5
1763 M7.4,M7.5,M7.0←八戸沖とその余震
1772 M6.7
1793 M8以上←三陸はるか沖と同タイプ
1835 M7.0
1854 M6.5
1855 M7.3
1858 M7.0以上
1861 M6.4
1896 M8.3←明治三陸地震
以下略。内陸型・海溝型の区別はしていない。何と貞観の後江戸時代までこれと言った記録が無いのだ。
戦乱の世だったからか?それとも少しずれて慶長年間になったのか?(正確に600年ごと起こるわけでは無い)
※30年ごと程度で続いてきた「宮城県沖地震」が、今後も30年ごとに起こり続けるのか……今のところ、誰にも判りません
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