待てば海路の日和あり……なのか?
日本企業の業績がボロボロの旨あちこちで報じられている。テレビを主軸に据えるソニー、パナ、シャープ。金融業界の雄野村グループ。東芝も赤字だし、リーマンショックを唯一黒字で切り抜けた三菱電機もコンプライアンスでポカをやらかした(ばーかばーか)。
一方、報道は変わらず中国ガー朝鮮ガーしたり顔で好調をアピールしている。
往々にして日本企業は動きが鈍い。
以下製造業で喋るが、大体どこも延々会議繰り返して根回ししてスタンプラリーペタペタ終わって動き出す頃には業界の風向きが変わって既に手遅れなんて良くある。実は三菱電機なんかその「遅さ」のゆえに、何も手を出さずにいた結果何も損害を被らずにブームが終わった、というのが正しい。なのに自爆してるんだから目も当てられない。
アップルコンピュータは真逆を行く。ここは工場を持たない。アイディアに従って作れるところを募り、一番安いところに作らせる。既にあるものを使うし、自分が身銭切って「製造設備」という将来陳腐化するモノを持たないので、後腐れ無く次々新しいことができる。
中国朝鮮は中間を行く。カネになりそなニオイを嗅ぐと、ドカンとカネ出して設備を構築し、人件費や国の後押しを武器に世界中に劣化コピーを売りつける。なお、アップルとの違いはオリジナリティである。中国朝鮮の製品に「らしさ」はない(怪しさはあるが)全てが「今までにどこかで見たモノ」である。
気付いた方おられよう。何を隠そう、今の日本メーカの製品にも「らしさ」がないのだ。
現代は何か新しいジャンルの製品が出来ても、デジタルと半導体の塊であるが故に、買ってきて線を繋げば同じモノが誰でも出来てしまう。するとオレも作りたいとしてその要素をばら売りで寄越せという要求が生じ、開発元が特許収入などを目論んで要求に応じる。結果同じモノがいろんなところで大量生産される。こう言うのをコモディティ化という。となると当然、結果みんな同じであるから、安く作れた方が勝ち、とこうなる。「らしさ」が出てくる余地は絶たれる。例えば液晶テレビはシャープが先鞭を付けたが、今や、「シャープだから」というアドバンテージは何もない。
「品質」という指標は確かにある。だが悲しいかな、デジタル機器は線さえ間違わずに繋げば動いてしまう。誰でも一定水準以上のモノは作れてしまう。テレビのように「見えればいい」「動けばいい」の場合、品質は基準になり得ない。ちなみに電気自動車は「エンジン・変速機」という品質こそが武器という部分を一切持たないため、クルマ産業をコモディティ化させる可能性があるとして警戒されている。
「らしさ」を持つにはどうすればいいのか。
一つは「常識」に囚われないことであろう。三菱電機の悪口書いたのでフォローついでに書いておくと、例えば「IHクッキングヒータ」。こいつは、ガラスパネルの下に蚊取り線香みたいな渦巻き状のコイルが仕込んであって、鍋に磁力線を送る。IH=渦巻き一発が常識だったわけだ。三菱電機の奴は、径や位置を工夫して、ガスに出来ない対流パターンを生成することに成功している。「常識・定石」だからとただ漫然と前例を繰り返しているものが無いか、一度総ざらえをしてみる価値はある。
ちなみに「何か新しいモノを作れ!」という安直な物言いは好きではない(面白いモノ、ならアリかもだが)。例えば「テレビ」というのは、登場時は当然斬新な概念だったわけだが、背景には電波の発見、無線電信、ラジオという系統と、カメラオブスキュラに始まる映像の記録、電子信号化という系統があり、機が熟してそれらが融合した結果がテレビである。iPadも然り。ただここには「探し続ける」視点と「何に使えるか」という応用力が必要になる。それは気付きの力でもあるが、天才性が必須かというとそうでもない。経験の積み上げと類推である程度モノを言える。
各種原種を集めて交配させて花咲かせるのがアップルで、その芽が出たとみるや飛びついて食い散らすイナゴが中国朝鮮である。
比して日本は。
「こんなのが見たい」という夢や理想の花が常にあり、それを作り出せる。作り出せる道筋を考えられる、ではないのか。そのために「どうしてそういう花が咲くのか原理から調べる」のが日本だろう。
原点に立ち戻ることは、決して退化を意味しない。花咲けニッポン。春は近い、だが、春を指くわえて待つな。
(綺麗に決まりすぎだろ)
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