今一度、安全第一
「一人作業をしない」は、ぶっちゃけパソコンたたき以外の全ての職場で当然の原則と考えてよい。最大の理由は、何か起こった時、一人じゃ対処できない、誰にも気づかれない、という事態を避けるためだ。ドラマや映画で「深夜の職場、一人頑張るエンジニア」というシーンを見ることがあるが、それはリアリティの面からは「ぶっちゃけありえない」ということができるわけだ。・・・山道を平均80キロでぶっ飛ばすことを要求するミステリードラマのトリックのように。
また痛ましい労働災害が起きた。鉄溶鉱炉に落ちたというのだ。むろん二人作業だったようだが「トイレに行っている間に」・・・その間、もう一人の方は作業を止めてはいけなかったのであろうか。二人作業を要する意図が忘れられてはいなかったか。
何でもそうだがルール設定の背景は「安全」を担保するためという第一原則がある。工場や工事の現場でヘルメットや帽子被らされてウゼーという体験をした方もあろうが、あれももちろん理由があってのことだ。
「何も落ちてこないのにヘルメット?」
コケたらどうすんだよ。
「屋内で帽子なんか意味ないじゃん」
暗がりで黒い頭だと見えなくなるからだよ。
守らせる方も「規則だから」じゃなくて、ちゃんと説明できるよな、な。
と、書けば、関越のバス事故がいかに誰も安全への目配りをしていなかったかわかるだろう。丸投げと、いわれるままと、勝手な判断。
「いくらで走ってくれる?」
そうではなく
「安全についてのコンセプトと社内ルールを教えてください」
こうだろ。割食うのは客だ。客自身が無頓着という部分もあるが。
自分ですら八王子までの実家行とかドライブ計画を立てる。大体、恵那峡-諏訪湖と止まって休憩と食事をとり、渋滞の有無に応じて双葉か談合坂でもう一休み、だ。書いての通り中央道経由だが、これは東名に比して景色が豊かでカーブやアップダウンが多く、退屈しづらいという部分もある。速度とガソリンだけを見るなら新東名で御殿場に出て河口湖から中央道、だろうが、「向こう200キロずーっと静岡」は新東名になっても特段変わることはない。比して恵那山トンネル、伊那谷の山々、諏訪湖、八ヶ岳、甲府南の一直線、笹子トンネル…さまざまな風景とランドマークがある。都度リフレッシュされる中央道の方が(オレ的には)運転しやすい。
件のバス運転手は「関越の方が走りやすかった」とのたまったという。上信越には1車線区間があるからと先だって書いたが、それは果たして本当にそうなのか。逆に「無理した遠回り」ではなかったか。ちょっと遠いけど飛ばせるから回復できる・・・だとしたら、言語道断もいいところである。
安全を重視した職場、作業であるほど、段取りや準備に時間を費やす。たとえば電動工具を使うのに、コードを回し、コンセントを設置し、ブレーカーを組み込む。使うだけなら電源直結すればいいのだが、ここまでするのは安全のためである。仮に直結したとしよう。作業が進んでコードの位置が邪魔になった。そこでまた引き回しのやりなおしするのか。電源にトラブルが生じた。ブレーカーがないから電動工具に異常な電圧が入ってしまう。コンセントがないから電源を抜けない。etc・・・etc・・・。
「安全第一」という言葉は、先人の尊い犠牲を経て、あらゆる作業における原点として再定義された概念、出発点である。それは安心できる作業を保証し、スムーズな動作を担保する。こわごわおっかなびっくりとどっちが作業性がいいか、推して知るべしだろう。
犠牲になりたくないのはもちろん、
あなたは犠牲の上に成り立っている製品やサービスを受けたいか?
他より1000円安いが、プレス機で指をつぶされた作業者がいる。それでも買うか?
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