父、娘を少女マンガの世界に引き込む
タイトル書き間違いに非ず。父は「りぼん」系、母は「花とゆめ」系を多数所持する。
本の虫ならベストだが、マンガも読まないとなると少し心配になる。で、「自由に読んでイイよ」と、取っつきやすそうな作品をコレクションから幾つか抜いて持ってきている。「まる子」であり「耳をすませば」そして「姫ちゃんのリボン」(水沢めぐみ版。繰り返す、水沢めぐみ版←大事なので二度言った)である。
これを数日前から唐突にむさぼるように読み始めた「おもしろ~い」まぁそうだろ。で、姫ちゃんラスト近くのちゅ~を見てもじもじしている。
勝手に主張しているが、時代に寄らない普遍性を備えた作品というのはいつの世も存在する。それらは普遍性の故に後世当然であるべき価値観や小道具が無くても十分通用する。例えば当世流行りの携帯端末の類が出て来なくてもいいのである。翻って例えば「ガラスの仮面」でスマホスリスリは似合わない。おもねっちゃイケナイのである。
そして、そういう作品の共通点は大きく2つに別れる。まず、プリミティブな感覚が主体、すなわち「恋」や「正義の味方」。姫子やプリキュアはこっち。もうひとつが、意外かも知れないが「その時代ならでは」である。「ガラスの仮面」は後者に属する。あんた北島マヤがネットにアップされた動画をタブで見てるのなんて読みたいか。
自分のコレクションを振り返ると、圧倒的に前者系が多い。「りぼん」だから当然だが、今オレが読んでも面白いのは流石だ。ちなみにこれらに携帯端末を加えることも出来ようが、告白の道具が増えるくらいで「相手の気持ちは分からない。そうかも知れないが違うかも知れない」の解決にあまり役には立ちそうも無い。逆に言うとテレパシー装置でも開発されない限りこの流れは変わらない。
「ちびまる子」は後者代表だろう。「空色のメロディ」「赤ずきんチャチャ」など異国や独自世界系もこっちにゆるーく入るか。そして実は、バリバリ先端技術てんこ盛りも後者に属したりする。ベルヌの「驚くべき旅行記」は当代切っての知識を駆使して想像の世界へ旅行するが、当時ある物は今もあるわけで、かき集めて何とかすると道が開けるところにロマンがある。だから今でも読めるし面白い。
翻って。
今の創作物作品群、こういう本質備えてるか?特にテレビ。
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