子殺す大人よ死して去るべし
子殺しは問答無用で死刑でいいんじゃないのか。持って回った言い回しは好まない。大津市のお前らのことだよ。
子供にとって親は生きるつて、唯一絶対の信じられる存在、守ってくれる砦だ。
親がいなければ子は死ぬ。
確かに万事かわいいかと思うとそうでもない。最もやってほしくないことを、最もやってほしくないタイミングで、最もやってほしくない形で、やらかしたりする(一張羅着てる時に限って嘔吐とか)。
でもそんなの誰でもが通ってきた道、子供なりに考えたり我慢して、理解と諦念のゆえの結果。
失敗の経験があるから、次の失敗を回避する術となるのだ。
・行動の理由を聞くこと
・いけない理由を説明すること
・失敗再発防止の手段やヒントを提示すること
これはウチで叱るときに気を付けていること。さもないと、なんで叱り飛ばされたのか、理解できずに不満だけが残ってしまう。
しかし
このいじめや子殺しはそれ以前の段階で子どもの接近を拒んでいる。大人の最大の責務は地球生命の基礎である「次代を送り出すこと」にあると信じるが、彼奴等の行動はこの責務の放棄であり、ゆえに人間である意味はない。
いじめられるというのは思春期においてどれだけ屈辱か。
それを他社に開示することは自らの恥の公開であり、どれだけの勇気を必要とすることか。
そして、その勇気をもって開示することがどれだけ追い込まれた状況を意味するか。
最後の砦で、拒否される。
その絶望、その悲しみ、そして、いいかこれ忘れるな「自分の存在を否定された」虚無感。
親に話し、親が動いた。しかし、それすらも拒否された。
どこに頼めというのか、あと何をしろというのか。
誰もこちらを見ない中で、暴力だけが延々と続く。
なぜそんな凄惨で残酷な状況に想像が及ばないのか。
なぜそんな残酷から目をそむけて平然としているのか。
自分の子供が暴力被害を訴えたら「自分で解決しろ」というか?
学校で起こった出来事に対し「うそをつくな」とわが子に言うか?
言うか?
学校のことは誰に聞くのだ。先生以外に誰に聞くのか。
中学生に、どうしろと?
だから、彼は、先生を頼った。
だから、彼は、先生に電話した。
その先生の行動は、あろうことか、加害者の前で「お前たちこいつに何かしてるか?」
チクったという言葉を皆さんご存知だろう。言い付けやがったという意味だ。むろんこの場合それは逆恨みにすぎない。やる方が悪いのだ。しかし、チクったと加害者が認識し、それが罰せられない場合何が起こるか。
彼がより凄惨な目にあったのは想像に難くない。
この教師(?)たちは、最もやってほしくないことを、最もやってほしくないタイミングで、最もやってほしくない形で、やらかしたのだ。
「先生、俺さ」
「やられたらやり返せよ。自分のことだろ」
これは正しい応答なのか。
物事には、限度があるんじゃないのか。
子供たちよ、怖いなら、学校へ行く必要なんかない。
なぜ、わざわざ、傷つけられに行く必要がある。
勉強?そんなもの後からどうにでもなる。
あなたが、それ以上、傷ついちゃいけない。
言ってだめなら、行くな。
親御さんよ、相手は親身になってなどという存在ではない。事なかれ主義に基づきもみ消そうとする汚い大人だ。悪徳企業や政治家の論理と変わらない。
そんな学校には子を出すな。絶対に出すな。加害者を訴え、正当な対応が得られない限り、行かすな。どんどん上の組織に訴えるべし。それでもだめなら、その地を去るべし。
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