ありのままでいられない
↓「泣く娘」の続きに近いが。
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「ありたい自分」でいられないそうな。どこか自分を変えるか、隠すか、しなくちゃならない。
ただこれは逆に言うと、今の自分と違う物を本当は求めている事に気づき始めたという事。
判断する理由の一つは、「何やってもつまらなさそうにしている」状態が増えたことによる。一般に子どもは子どもっぽい行動をする。すなわち、勉強したら、遊ぶ。
その遊びがつまらない。それはとりもなおさず子どもっぽい事がつまらなくなってきたことを意味する。
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皆さんにも経験があるのでは無いか。何やってもつまらない。少し前まで面白かった事が下らない。
突然、アニメを見なくなったり、オモチャで遊ぶのをやめたりというのが起こるのがこの時期。でもその後どうしていいか判らない。さりとて戻るつもりも無い。
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で、模索が始まる。自分は何をすれば楽しいのか。面白いのか。
そう、自分探しである。
大体この時期に巡り会えた「面白い」は終生の趣味となる。もってしてそこからの派生でいろいろな事を学び人生の糧になる。例えば自分の場合、電車のオモチャっちゃ「プラレール」だが、いかにも幼児向けの造作である。そこで鉄道模型と巡り会えた。こいつは
①メンテしないと調子を維持できない→物を大切にする
②メンテするには仕組みを知る必要がある→電気と機械に強くなる
③線路を敷くのも車輛を集めるのも何もかも自由→コンセプトメイキング、線路敷くには幾何学の知識必要
で、電子回路いじって生業にしてるおっさんがここにいる。
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恐らくは同じような「巡り会い」が必要な時期が娘にも来たのだ。絵を書き、少女マンガを読み、オレが読んでた学研マンガ「ひみつシリーズ」を見ている。
「その本超新星のページ開いて」
「あーあーあのメロン潰しちゃうページだね」
ドコに何が書いてあるか覚えている。これは興味を示した子ども共通の特徴である。理屈歴史さておき諳んじてしまうのである。何、おどろくことはない。オレだって国鉄電車の全形式と電気的仕様はまるっと覚えてた。
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ガタガタ言わず手持ちのコマ一通り娘に披露しようと思っている。何か見つけてくれりゃ幸いだし、無くても知識探訪に楽しみを感じてくれれば本屋や図書館で勝手に探す。
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ただ、ひとつだけ注意したい。テレビゲームは避けたい。アレの楽しみに中毒したら、自ら調べる、知る、新しい物を作り出すという方向には向かなくなる。ひたすら刺激の強いエンタテイメントを探して歩くだけ、ゲームジャンキーになってしまう。
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娘よキミの求める自分はどこにある。
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