古典というジャンルがありましてね~明治のりもの博~
見て来た。主目的は明治の御料車(5号・6号)。保存車とはいえ天皇家専用車なんかおいそれと入れるものでもなし。今日まででしかも時間限定で公開という事で、開園早々から並ぶ事を想定して出かける。
チケット買ったらあらやだ一番乗りだわ。
大体ここにはキハ6400(蒸気機関を客車に積み込んだ現行ディーゼル車の先祖)など、文化財級の古典車がゴロゴロいたが、めぼしいのはみ~んなJR倒壊が自分の博物館に持って行ってしまった。その残った中で華が彼女らというわけ。
などとブログの文言考えてるウチに到着。鉄道ヲタク専門ジャンル各種あれど、古典派・豪華派でも明治の御料車見るためにわざわざ愛知県の隅っこまで出張ってくるヤツも少なかろうが、逆に高齢の方が多いのでは。
「あの~よろしかったらすぐ説明できますのでどうぞ」
おろ?10時からでなくて?まぁいいや。見せてくれるというのなら。
御料車6号。明治43年鉄道院新橋。全長20.7m・車重35トン・3軸ボギー台車。
これが明治天皇のご乗用で、別に美子(はるこ)皇后ご乗用に5号がいる。今回両車同時公開。
「靴袋と手袋を着用ください」
へいへい。あ、大げさではなく、中が絨毯なので当然。あと、手袋も漆塗りで下手すっとかぶれるから。
野暮は抜き、写真貼るよ。まず5号。
御紋章。
御座所。他に女官室。供奉(ぐぶ)員室。厠室。厨房。寝台。
左5号。右6号。
6号御座所。奥の扉の装飾は螺鈿。他に厨房である大膳室、侍従室、寝室、厠室。なお、寝室には「三種の神器」のための棚あり。明治帝用車だが、厨房を持ってる事から大正帝もご愛用とのこと。
ランプ。他に扇風機があって自車発電で動いたとの説明。一等展望車から類推するに車軸発電機とバッテリーだろう。
モニター屋根部分
屋根の内張
玉座。5号から類推するに桑材で組まれているか。
その扉の螺鈿細工。楚として上品である。
御座所を外から。ここにイケメン明治天皇がお座りになられたわけだ。
見られぬ所は説明版で。
車輛としての本質も抑えておく。台車は3軸ボギー。
台枠。木造車はそのままだと自重で真ん中が垂れ下がるので、防止するために魚の腹のように真ん中が膨らんだ鉄骨を噛ませた(図面参照)。そこが剥き出しだとメカメカしくて粗野になるのでこのように装飾。
メインは以上。
閑話休題。なんだお前は。お前も展示物かw
一服して他の物。京都市電に乗りましょう。俗にN電。1895年。
製造は梅鉢。
「え~次は~」んご~~~~ごんごろがっしゃがたぴしぎしぎし。木造車で2軸車で直接制御でつりかけ式。車掌さんの観光案内なんか聞こえやしない。
だがそれがいい。
つり革。これこそつり「革」最近のは本当は「つり輪」という。
制御器。EEデッカー製。明治村では最高速度出しても20キロ。まぁ実際そんなもんだっただろうし、老体もいいとこだからムリだろう。ただ、駆動系は別に現行品で置き換えても問題無いように思う。つりかけ式で一気にボロくなるからw
終点着いたらポールの向き変え。パンタグラフに相当するのがこれ。先端に金属のリングが付いてる。架線になびかせるために毎度向き変える。
この出発準備完了した凛々しき出で立ちを見よ。これぞ明治の伊達男。なお、先頭部の網は人やウマを跳ねてもここで受け止めるための物。
SL12号。煙上げて石炭食わせてもらってるが、整備のため運休中。まぁしょうがねぇ、1874年、明治7年のカマだ。但し1985年にカマ替えしている。来歴は1874輸入、鉄道院形式160形165→1911尾西鉄道丁(甲乙丙丁の丁)12→名古屋鉄道12→1957廃車→1963より明治村。
その外されたカマ。1874年製造のホンモノ。
東海道本線全通直前の路線図。琵琶湖は汽船連絡。線路が敦賀に入っているのは敦賀が国際連絡港だったから。当時大日本帝国はここから遥かユーラシアの果て、欧州を志向していたのだ。
帰りは岐阜へ出てこの人で。
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後継車作ろうよ。パノラマあっての名鉄だよ。
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