書け、と言われた気がした
ので書く。取引先と打ち合わせで、事前資料が飛んできた。事業所の所在地にハッ、とした。
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名取市
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住所と浸水地図を照らし合わせると、なんと、所在地のまさに敷地の壁で津波が止まったようではないか。
「津波直前で止まったんですね」
「ええ、よくご存じですね」
おれ名古屋人じゃねーもん。まず気にかけるのそこだろうよ。
同社サイトによれば事業所に被害なし、社員の方に人的被害なし。よかったよかった。
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そして26日になるが、スマトラ沖超巨大地震、およびその津波被害から8年が経過した。しかし国力の差もあろう、未だ仮設で生活されている方も多々有るようである。22万。この膨大な数の人命が失われた破滅的災害を経て、残念ながら我々の対応はその犠牲を糧とする事が出来なかった。
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1946年、南海地震が起きたのも12月16日であり、66年が経過した。戦後すぐの混乱した時期、しかも冬場の夜明け前に襲った地震・津波であり、人々の感じた恐怖と困難は想像するに余りある。間断無き余震の最中、暗闇の彼方から津波が来たのである。串本では10分後というから、逃げる猶予すら無かったのではないか。ちなみに、北海道南西沖地震(1993年7月12日・午後10時17分)では、地震後3~5分で奥尻島を津波が襲った。これらの事象は、海底震源の精査と、シミュレーションによる津波の算定、それを考慮した避難システムの構築が必要である事を意味する。また、それこそ名取市の事例は、「高いところ」を意図して作っておく必要性を示していよう。
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「次」が東京直下なのか、房総半島沖なのか、三陸アウターライズなのか、南海トラフ三連動なのか、十勝沖なのか、それは判らない。が、今こうして書き並べたように、現時点でこれだけのリスクが列挙できる。
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再度津波で犠牲が出るようなことがあってはならない。今を生きている我々の責務である。
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