自己批判してみる
↓で外部に文句垂れたが比して自分は間違っていないのか。
寝付きが悪くなったのは確かで、ダウナーと入眠剤貰っている事は前に書いた。職場ではカフェイン補給しつつ、ギンギラギンに賦活化を図っている。あちこち吹き出物あるし、便通も良くない。腰も久々にやらかした。身体にはガタが来ている。これは確かだ。
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仕事の要求に応じ切れてないらしいことも確かなようだ。ウィークリーの報告書に書くべき内容は「結果と計画」だが、「最中」になっていることがままある。計画に従って進行中に更なる可能性が見つかるからなのだが、そこで「それを調べる価値はあるのか」と問われる。で、やってみなくちゃワカランが答えとして認められない。また何かある試みをして無関係と判ると「間違った実験をした」と言われる。
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「実験の必要性を説明すりゃええやん」
「ホントかと言われる。価値があるかどうかはやって見んとワカラン」
「設計時の資料からやるべきかどうか目星付くんじゃ無いのか?」
「設計書の内容が量産へ反映されてないのにどうやって設計時の資料を基に判断するんだ。それに、そうした違いを見つけるのも仕事」
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思考・発想形態が特異なのは致命的であろう。情報を取り込むだけ取り込む。答えが出てくりゃいいが、行き詰まったらしばらく放置すると創造的着想になって戻ってくる。この「取り込み時間」と「放置する時間」がくせ者で、物理定数とも言うべき時定数を持っている。ちなみに、この放置時定数は取り込む情報が増えると短くなる傾向にあるようである。そしてやがてほぼゼロの域に達する。人はそれを直感と呼ぶ。だから、「とりあえず何でも知りたがる」傾向の子は、納得行くまで知識を吸収させてやって欲しい。直感を裏付ける小理屈は後で良い。アインシュタインだって方程式は作ったが、解いて意味づけを与えたのはシュバルツシルトだ。
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なので、これ重要だが、急かされてもろくな結果出ないし、いっぺんに幾つものテーマ相手に出来ない。特に後者は思考リソースが割かれてしまう。
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「お前複数の話同時に書いてるやん」
「創造は完了して出力段階に達してるだけ。同じテーゼの表と裏という場合もある」
「グループのボスは出来てたんだろ?」
だとしたら結果の要求を繰り返すだけで、手段へのヒントや抜けてる視点を提示してくれないのはなぜだろう。部下の提示に対応するのがボスの仕事だという物言いあるが、抜けはそれを知る人が指摘しない限り気付かない。竹島問題のラスク書簡なんかいい例だ。
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地道にやってるのに急かされる。順番に手を付けるつもりでいるのに一度にやれと言われる。組織の側から見ればもどかしいのは判るが、それを残業や休出でカヴァーしろという思想には上記発想形態が邪魔をする。
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善し悪しじゃ無い「合致してない」これが結論。
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