東京オリンピック・・・ねぇ。
2020年に向けて誘致と。あ、そう。
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自分の人生でこのテの話3度目。
1988年名古屋「できりゃぁおもしろいがね」(結果はソウル)
1998年長野。素直に応援。
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でも何だろ。この「冷めた」感覚。オレだけ?そうじゃないよね、支持率低いし。
反対はせんのよ。でも何かこう「・・・ご自由に」って感じ。傍観なの。
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自己分析。
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(1)そもそも「唐突」だった
ぶち上げたの石原さんだが、確か不景気だから金を回そう→カジノはどうだ→だめか、じゃぁオリンピックだ。そんな流れだったように思う。
1964年東京オリンピックが「開催できるだけ国力が回復しました」というアピールから生まれてきた流れと比して、
1998年長野冬季が、アジアで冬季しばらくやってないね~新幹線どうやって敷こうかね~って議論があって、オリンピックに結実している。
比して東京、ぽっと出の感が否めない。大義が無い。だから唐突感がある。
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(2)また東京?
「いっぺんやったじゃん」って奴だ。長野がインフラ整備に繋がった印象もあるかも知れない。そういう副次効果が狙える場所で開催したら?という話だ。
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(3)その前にやることあんだろ
同じ質問したらこういう人多いんじゃないのか。
「ハコ作るならそのカネで被災地に防波堤を」
そもそもオリンピックはスポーツの「祭典」だ。
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国家的災害の被災地放っておいて国家的祭りの準備に血道を上げる後ろめたさ(あーあ言っちゃった)
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そりゃ東京は日本の経済のエンジンさ。そう自分で書いたさ。そのお金が被災地に回って復興に繋がるって。でも、そのためにわざわざ何か作るなら被災地に作れよ、お金使えよと思うわけさ。
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異論は承知する。でも、違和感は拭えない。
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