安全は意図して「確保」するもの
さて関東地方の皆さん今朝はお転びになりませんでしたかね。1人死亡800人ケガ。あらあら。
.
職場の安全巡視に参加した。開発の期限が切羽詰まっているせいもあろうが、まぁ結構ムチャクチャである。机上にトランスをドテ置きして400ボルト作ったり、引っ張ると取り出せる消火シートを設置・・・は良いが、棚の上に置いてあるので引っ張れないとか。棚板荷物の落下防止チェーンも、外れたままだったり、チェーンより上まで積み上げてあったり。
.
当然改善指摘となるのだが、ここでありがちなのが「ルールだから守れ」である。
しかし実際必要なのは「何故危険なのかの理解」である。
.
そもそも安全に関するルールは過去に貴い犠牲があって「やってはいけない」となったものが殆どだ。例えば電線が転がっていたとして、そこに電圧が加わっているかどうかなんて見ただけじゃ分からない。だから不要なものは出すな、だし(発生防止)、測定してから作業しろ、作業中なら表示しろ(流出防止)、なのである。転落防止も然り。地震で相当質量の物体がゆっさゆっさ動く様を見たからこそ、「無いと危険だ」として指摘できるのである。
.
家の前は結構な交通量の急な坂道である。信号の無い交差点が短い間隔で並んでいる。こういう場合、脇道から出て来るクルマは、「坂道に入れるかどうか」だけに注視しがちとなる。畢竟、歩道の歩行者や自転車への注意が薄れる。かてて加えて、自転車の方は下り坂だから気持ちよく下ってくると来ている。
.
しからば、クルマの立場なら、そんな自転車が来るかも、と考えるべきだし、自転車の立場なら、クルマは自転車が来るか考えてないかも、と想像すべきである。「意図して」安全を確保するのである。そういうクルマを見つけたら、運転者が自分の存在に気付くまで横断などしてはならない。車庫入れ中を横切るなども同じである。
.
あなたが職場で安全教育を施す立場であるなら、数々あるであろう「安全ルール」を「どうしてできたか」理由を考えさせる講座を一度是非開いて見ていただきたい。「無視するとどうなるか」「ルールがなかったら何が怖いか」そこへ思いを致してこそ、ルールになった意味が見えてくるはずである。
.
大丈夫「だろう」
「急いでいて」
.
前者はそれでケガしたらアホだし、後者は逆に大幅な遅延に繋がる。
.
安全は危険を予知してこそ確保できる。国際安全保障も同じである。憲法改正反対シュプレヒコールするより他国の横暴を糾弾する方が正しいのではないか?
.
理解できたら指差呼称。今日も一日安全第一ヨシ→
« 名古屋の列車コレクション | トップページ | 次々に 娘に備わる 無駄スキル »
コメント