原理主義の壁
特定の宗教に限った話ではない。
政治・統治の体制から卑近ではきのこ・たけのこ(笑)まで様々「これだけは譲れない」が存在する。
そういう場合「人類普遍の不変の価値観」って奴で測れればいいのだが、前にも書いた通りひとごろしですら絶対悪ではないことが多い。
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そうなると歩み寄りとか相互理解は難しい。敢えていうなら「違いを認め合う事」を相互に理解する事くらいか。
利益になる事は受け入れる/侵害しない限り攻撃はしない、という向きはある。例えば故・カダフィ大佐は。
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「日本がアメリカの犬になっているのは気にくわない。原爆落とされてまで和解する気持が理解できない。ただ攻撃する気はない。何故なら日本はアラブを侵略していないからだ」
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明快だ。油の取引なら普通に成立しただろう。ただ、彼は日本の禁輸品を欲しがった。・・・核プラントのために。
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だから何も出来なかったわけだが、彼は我々から見れば「理屈が通る」と感じるであろう。ところが、原理主義に言わせると恐らくは「甘い」になるだろう。何故なら原理主義は「体系が違うものは存在してはいけない」からだ。そうなると海や砂漠といった自然障壁以外に主義世界を遮るものは無くなる。逆に言うと古来の「部族民族の隔たり」に回帰してしまう。
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我々の価値観や経済システム、グローバル化の名の下にどこへでも持って行くのは果たして人類普遍のあるべき姿なのか。
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