優しくされて
2.22で「にゃんにゃんにゃん」でネコの日である。ネコに目一杯ワガママさせてる向きは多くおいでと思うが、彼らにしたい放題させても爪研ぎ跡と毛だらけ糞まみれになるだけで、人的被害や家が傾くような事態にはならない。どころか、好き放題食わせるとこいつら肥満して死ぬ。
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犬も然り。自分がボスと勘違いするだけの話で人を食ったりはしない。ちなみに、たまに聞く噛み殺された系の事件は、単に凶暴な犬の防衛反応である。
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人と人とに対立がある時、解決パターンは3つである。対立を放置して触れないか、どちらかが非と認めて引き下がるか、どちらかが死んで無言になるか。ただ、ここに非を認めても解決に至らない場合が存在する。更に別の非を持ち出して事実かどうかも関係なく絡めてくる者がいるのである。避けて尚追いすがって要求してくる者がいるのである。
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実はこれは相手方に解決パターンが1つしか無いことを意味する。なぜなら、このパターンを続けて行けば、非を認める者が全て失うまで追求が終わらないからである。全て失う。それは即ち死そのものである。
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相手から何かを奪って生き、その全てを奪い尽くすまで増殖し続ける生態を我々は「寄生」と呼ぶ。寄生の生態を取る種は、哺乳類はもちろん、昆虫、魚介、植物まで、あらゆる生物の門においてあまねく存在している。
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しからば、人間の姿をした寄生種がいても不思議では無いのではないか。同一の遺伝子を持つように見えて、様態が寄生そのもの、という族が存在しても不自然ではないのではないか。
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人類が幾度となく襲った氷河期、飢餓を乗り越えたのは、集合による叡智・協力とする説は多いが、中にはひたすら殺して奪い取ることによって生き延びてきた種族もあるはずである。前者・後者とも、現代社会経済システムの中でそれぞれ生き続けているからである。蛮族とか盗賊とかいう言葉はそれらの反映であり、加えて漢字文化圏に存在したことの証に他あるまい。
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ここに、過去非を認めて賠償を行った国がある。「完全かつ最終的な」解決を条約に記してある。比して相手方は次から次へと別の賠償案件を持ち出しては、未実施だ、不足だ、と言いつのりカネを寄こせに帰着する。そして見よ、賠償の一環として提供された技術は、相手方は独自の技術と主張して嬉々として収入源に転嫁しているではないか。
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2.22「竹島の日」突如、領土だと定義され、漁をしていた方々が銃撃され、殺害・拉致され、不法に滞在し続けている島。
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寄生生物の対処法は唯一、寄生生物を取り除くことだ。
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