じゃぁの
名鉄瀬戸線。
「瀬戸自動鉄道」に端を発する100有余年の歴史に輝く。そして、他の「名鉄」路線と通じる線路を持たぬ唯一の路線。地元の人は出自も手伝い「せとでん」と呼ぶ。古い作りなので急カーブが多く、駅間の距離も短い。ゆえに余りスピードが出ない(出せない)文字通り「がたんごとん」電車は走る。「せとでん」というひらがな書きがよく似合う。
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ただ、設備面、車輛面では常に本線系の後塵・・・後回しにされたりお古が回されてきたりした。現に今でも線路の枕木はリアル木材。メートルあたりの重さ35キロという細いレールの区間も残る。
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そんなせとでんに「専用」の「新車」が投入されたのは1978年のこと。名古屋城の堀の中を走るという「アクロバット」とすら言える手段で名古屋市中心部へのルートが、地下化新線による栄(駅名栄町)への乗り入れという形で実現したのだ。併せて動力用電圧が1500ボルトに向上され、この機に新造投入されたのである。6600系という。
仲間は2輛編成3セットで6両。冷房化、常時4輛運転化など改造されつつ、通勤路線に変貌して行くせとでんの変化に応えた。そして、がたんごとん、昭和から平成へ、20世紀から21世紀へ、走り続けた。
後継は高輝度放電灯の白い光を放って現れた。2008年。彼の登場から丁度30年目のことだった。
彼の終わりへカウントダウンが始まった。4000系という。
娘バンザイしているがこれは幼稚園時代のスナップだが、4000系第1編成が走り始めて間もなくの頃だ。以来4年、ついにこの日がやって来た。
3月3にはサヨナラ運転イベント。2日の運転はありません。ということは。
3月1日の今日こそが、この運転こそが、彼の最後の通常運転ということになる。そうか、個人的には本線系の頑強な線路で100キロでぶっ飛ばしてやりたかったなぁ。とまれご苦労。そして
じゃあの。
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