物語の中の鉄道
「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった」
とは川端康成だが、鉄道は物語の中で効果的に使われることが多い。乗ること、移動中、降りること。
それは日常と非日常を結ぶ接点であり世界のパラダイムシフトそのものである。
芥川の短編に「蜜柑」というのがあるが、こいつの舞台は横須賀線の2等車…現在の同線グリーン車である。疲れたおっさんがsuicaをピしてねーちゃんからビール買ってる光景をよく見る関東のグリーンだが、往時はそんな敷居の低いものじゃ無かった。基本ガラガラで、それでも2両付けていて、夏など客が降りると車掌がカーテンを下ろしに来る(日光遮断)、そんな異空間だった。いつだったか、「データイムグリーン回数券」で乗り倒しをしたが、往路ではトイプードルを抱いたおばさまが北鎌倉から乗り鎌倉で降り(注:隣の駅)、復路ではどこぞの制服の小学生が鎌倉から乗って定期を見せて大船で降りた。グリーン定期券には子供用はない。どういう家庭の子か推して知るべし。
に、身なりのそぐわない少女が乗ってくるから成り立っているのが「蜜柑」だ。青空文庫にあるので興味ある方はどうぞ。
同じように現在の価値観だとピンと来ないのが明智小五郎であろう。彼は初登場のシーンで東京駅に1等車から降り立つが、当時1等車は東京から出る3本の特急(これも「特別急行」でありこの3本しか存在しない。富士・櫻・燕)にしか付いておらず、外国人旅行者か軍属、大財閥の首脳陣程度しか乗れなかった。ゆえに小五郎は並みの人物では無いのである、が、現代に通用する表現ではあるまい。新幹線のグランクラス?あんな見せかけのばったもんと一緒にすな。
「オリエント急行殺人事件」は列車中という異空間そのものを舞台にしていて少し違うが、あれのバックには「パリ」(近代化された大都会)と「イスタンブール」(欧州というカテゴリの東の果て、かつ、前世紀の異境)という平行世界が存在する。これが「常識」(特に都会のそれ)が通用しない世界観を側面援助している。ちなみに当時、イスタンブールからパリまでオリ急乗り通すと「ロンドンでメイド付きの部屋が一年借りられる家賃相当」の旅費が掛かったとか。彼女は衝動買い的にそれでエジプトまで出掛ける女だったと付記しておく。
で、一気に庶民化されマニアックになるのだが、アニメの中でこれでもかとばかりに鉄道を描写したのは「究極超人あーる」あたりが端緒であろう。パンタのスパークとかチトやり過ぎの感はあるが、アレはある意味鉄道のそうした存在感を思い起こさせるきっかけになったと言える。そして「千と千尋」・・・これそこ、水の中走ったらどうにかなるとか言わない。あれで鉄道は位置・次元・時間に関わるあらゆる意味を持たされている。
銀河鉄道の夜。これはまた少し意味合いが違う。ありゃ半分賢治の趣味だ。アルコールランプで走る汽車をカムパネルラが持ってるという一節が出て来るが、ライブスチームはただの金持ちでは御せるものでは無い。技術的興味と腕前があって初めて成り立つ。この辺はタイタニック沈没に彼が衝撃を受けたという良くある節を背景にすれば理解しやすいだろう。
いろいろ書いたが、本題はここからだったりする。「新海誠」さん。「秒速5センチメートル」とかすっげぇ切ない恋物語なわけだが、鉄道が実に象徴的に使われている。でもって「鉄」じゃないとあーいう使い方は出来ないのではないか。それは距離を結び時間を断ち切る。そして時に遥かに引き離す。氏が新幹線をどう料理するのかに個人的には興味を持っている。時速300キロで北へ西へとブッ千切る。それは半分ワープドライブに近い。「じゃ行くから」が出来てしまう。コミュニケーションのリアルタイムはネットが確保した。3次元の再会を新幹線は側面アシストする。
お金さえあればと言う刹那的な面はあるが。
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