ネットワークのグローバルスタンダード化に伴うディジタルデバイドのアガヴェーション
コンピュータがリビングへ配置されることがカジュアルになり、インターネットへのアクセスがデファクトスタンダード化することに伴い、デジタル、ネットワークおよび関連のセンテンスが大量に流れ込んできた。そのスピードは明治開国の頃比にならず畢竟そうした用語をそのままライフスペースへ取り込まざるを得なくなった。カタカナというフォノグラムでかつ漢字やひらがなと異質な文字の存在もそうしたフェノメノンを側面からアシストした部分があろう。斯くしてアルファベットで表記されていたセンテンスがそのままカタカナでトランスクライブされる時代が訪れた。これはイノベーションと呼ぶべきかあるいはパラダイムシフトと呼ぶべきか。しかしこれらの中にはアイデンティティのような日本語で表現しにくいコンセプトやテーゼはさておき、レゾンデートルなどむしろ漢字表記の方がシンプルになる語までインクーディングされており、漱石がアイロニーとわざわざ表記したような横文字西洋かぶれの部分もあるとの誹りは免れまい。
一方で明治は先取の気鋭にアクティブな時期でもあり、横文字用語をそれだけでアンチテーゼとディフィニションしてしまうのは、こうしたクリティサイズを多くデベロプメントするエイジド・パーソンよりさらに古い明治と並立させた時、滑稽に見えると同時に、万人向けのアグリーメントを得るエグザーションをディスポーズしているようにも思える。
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・・・一応、文章にはなっとると思うがw
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