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2013年6月10日 (月)

3.11。少女聞き書き

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娘が教会の日曜学校で震災振り返りの作文を書くそうである。大変結構なことである。
名古屋は同日「震度4」ということになっとるが、工場の連中曰く「ゆーらゆーらして酔うような感じがあった」・・・このことは低周波ほど遠くへ届くの基本原理に従い、長周期地震動のみが到達していたことを意味する。従って「震度4ってこんなもの?」程度の認識のはずである。ちなみに以前も書いたが、3.11以前直近の名古屋で震度4は1997年3月16日愛知県東部震源、その前は1983年3月16日静岡県西部震源といった案配で10年に1回ペース。10回遡ると1946年南海地震に行き着いてしまうのだ。南海トラフ食らって震度6以上5分連続、落ち着いて行動できるとは思われない。従って子どもが感じたままの体験談は大いに有効であると考える。
但し娘に自由に書かせるのは不適切だと考えた。すなわち
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・何が起こったのか
・何を感じたのか
・どんな行動を取ったのか
・どんな反省点があったか
.
ここらが押さえられていないと教訓にならない。
そこでいくつか質問を投じた。結果をまとめておく。なお同日同時刻、娘は加曽利貝塚近傍の小学校から帰路途上、社宅敷地で4階建てコンクリアパートの並ぶ中を歩いていた。当時2年生である。
(娘の答えはいくらか整理して加筆している)
.
Q:最初、何だと思った?
A:いろんな物が揺れてるから強い風かと思った
.
Q:いつ、地震だと判った?
A:(風に身構えて)掴まろうとしてコンクリの塀に触れたら震えていた。だんだん激しくなって地震だ、と判った
.
Q:怖かった?
A:怖かった。通りがかりの郵便局の人と、同じアパートから飛び出してきた友達のお母さんが気にしてくれたけど、その人(友人母)に「アパートが倒れるから危ないと」言われたら、お母さんが中にいることを思い出してものすごく怖くなってどうしようと思った。
.
Q:揺れが収まるまでどうしてた?
A:頭抱えてしゃがんで待った。で、揺れが収まりだしたので走って帰宅した。
.
★だがこの後娘はあろうことか同じ社宅内の友達の家に遊びに行ってしまう。オレは揺れの最中に「大丈夫か」旨ショートメールを飛ばし、規模が判じたところで「余震に注意」と送ったのだが、その時既にトラフィックはオーバーロードし届いていなかった。一方妻も余震の存在を失念していた「エネルギー全部出し切っただろうと思って」・・・余震はストレスを受けた周りと本体の壊れ残りが壊れるのである★
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Q:友達の家で余震(15時15分茨城県沖M7.6)が来たはずだが、怖くなかったか?
A:「さっきと同じ感じ」だった。縦揺れと横揺れがまざってた。友達の部屋の前、アパート廊下でしゃがみ込んだ。友達はまだ帰っていなくて、部屋の中はめちゃくちゃだった。そこへお母ちゃんが迎えに来て、学校まで友達の様子を見に行った。(その時点で校舎内に残っていた児童は全員校庭でお迎え待機。妻子はその旨友人宅に連絡)
.
Q:夜は、怖くなかったか?
A:父親(オレ)は帰ってこられないと判ったのと、とにかく地震がいっぱい来るので怖かった。すぐ避難できるようにテーブルのイスを引きだしたままにして、すぐ潜れるようにした。テレビも地震の映像ばっかりで怖くなったので、テーブルの下に潜り込んだまま本を読んでた。
.
ウェザーニューズの緊急地震速報を放り込んである旨は常々書いているが、これがひっきりなしに作動したようだ。ちなみに同日は地震計自体の破損も多く、地震計のデータをトリガとするこの速報システムは誤報が相次いだ。だが、どこかの地震計が拾ったから作動したのであり、その点で助かったとは妻の談。なお、同地震から24時間の間に社宅最近の地震計で記録された有感地震は126回★
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Q:眠れたか?
A:寝た。衣服と靴を枕元に置いておいた。ひっきりなしに揺れるから怖かった。
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Q:学校は、どうなっていた?
A:校舎間の渡り廊下に亀裂やずれがあった。給食の食材が届かずにおにぎりと牛乳だけだった。(翌1週間午前打ち切り)
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Q:次の地震に備えて、どんなことに注意をしようと思う?
A:建物も車も多いので避難が大変だと思う。川も怖い。
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以上である。さてここから示唆と教訓を引き出すのがオトナの仕事で。
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●まず子どもたちに安心を
子どもに対して必要なのは「大丈夫」と思わせること、「何をすべきか具体的に示すこと」である。
これに照らすと「アパートが倒れるかも」という件の友人ママさんの発言はNGで「建物から離れたところで姿勢を低くして」が正しい。高層建物の近傍で地震を受けた際まず怖いのはガラスの落下だからである。ただ、この時点ではなるべく短時間で必要な指示を与えるのが先決であり、理由はさておいて良い。予備知識として子どもに持たす、遭遇して子どもを見かけた時にそう対応する。この2点でよい。
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●通学路における危険の予知
路上で地震に遭遇した場合の危険は以下の5つである
・建物や壁、塀の上の構造物倒壊
・地割れや山崩れ
・伏流水路への陥没や橋の落下
・液状化
・パニックになった人の車両類との衝突
親子で通学路を歩き、想像力たくましくして潜む危険を洗い出し、対処を決めていただきたい
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●いざというときの集合場所
当該学校以外では広域避難所が適切な選定である。自宅では火災に巻き込まれる危険がある
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南海トラフが想定される最悪であれば、震度5以上が3~5分継続する。その時間がどれだけ途方も無く感じるか、それは幾ら書いても体験しないと判らないかも知れぬ。恐らくはのみならず最初の余震とつながって途方も無く長い時間揺れ続ける。
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社宅近傍。人様の家まじまじ写真撮るわけにも行かず引き絵だが、ブルーシートの屋根が見えよう。瓦が落ちたのである。
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あなたは大人か、子どもの親か。されば、我が子を守るのは最後はあなたのその手と身体だ。
手をこまねいてるほど時間の余裕は無い。

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