本当の春が来るまで~福島第一より里程15~
「ロビー0.06マイクロ」
ホテル朝食を終えて最初に聞いたのはそんな言葉だった。作業服の男性2名。ガイガーカウンターは事故後通販サイトではびこった怪しいものではなく、校正(正しい数値を測定するためのチューニングのこと)装置付きの本物である。ちなみに千葉にいた頃よくチェックしていた市原の屋外モニタリングポストが0.04とか。
町の名は「梅・桃・桜が同時に咲くから」との説もあり。
「滝桜」で知られる(画像はWiki)。千葉に住み続けていれば絶対に行ったであろう。されど。
「山超えれば浪江ですからね」
タクシー運転手氏は嘆いた。
「飯舘は通過は出来るようになりました」
小さな笑み。通れるだけ、通れるだけである。一般に異常であろう。しかし異常が通常だとそれが日常になる。
あの頃、千葉で地震が来ない日が逆に不思議に思えた。いやそのアナロジーは不謹慎か。
「農協に入ってると補償金が出るんですよ。でも個人だと難しいらしいです」
自殺した農家の遺族が訴えを起こした報に接したばかり。
「ここも問題ないことにはなってるんですが・・・落ち着きませんよね。双葉行くと、ここは駄目、ここからはいいって線引きされてるんですよ。本当にいいの?って。数値変わらないでしょう」
報道で聞いていたこと。しかし淡々と、されど実感こもった肌身で感じる人からの言の葉は重い。
ビジネス。
「こちら地震の影響は?」
「駐車場が陥没したのと、製造設備(注:2トン)がずれた位で破損なんかはありませんでした、ですので建物直して何とか」
泊まったホテルも内装は新品。この工場も内部は新品。
作り直したのである。
休憩時間。開け放った窓。
芒種の候。中通り浜通りを繋ぐ都路街道・・・郡山-双葉間を行き過ぎる風がまこと心地よい。
されどこの風、もしも東風ならば自分同じく心地よいと言えたか。
あの炉までの距離、60キロ。
あの炉はあの日のまま、あの場所で今日も少しずつあれを放出し続けている。
(画像クリックでフクイチモニタリングポスト)
知識は冷徹に数値のみで理解している。気持ちはゼロサム。
.
それでもこの町に皆さんは住まい、この工場で精密な部品を作る。
「値段より品質ですから」
「毎月一定数のご利用ありがとうございます」
少なくともここの会社に、働いてる皆さんに、税金としてこの町に、入っているなら。
お土産を、一杯買って帰るよ。
福島と、宮城のおいしいもの買って帰るよ。
.
そして今度は、滝桜を見に来るんだ。
« 福島県中通り | トップページ | およそ日本人の所業ではない »
コメント