およそ日本人の所業ではない
「郡山」は「こおりやま」である。だがそれは些末なこと。問題の本質はそこでは無い。
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千葉にいた頃、福島から逃げてきた子がからかわれた旨の情報がPTAに出回った。今もその手のコピペが時々ツイートされて来る。何のことはない「ピカがうつる」と同様の行為である。
それでもまだ原子爆弾は無知ゆえの産物と捉えることが出来た。なのに以来68年を経てこの所業はどうだ。
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戦後日本は一体何を教育してきたのか。
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放射線への異様なまでセンシティブな反応は、実は軽視している裏返しである。よく知らないが排除しておけ、という脊髄反射に他ならない。そしてこのことは、自分が何を持って正しいと判断しているか、基準を持っていないことを意味する。持とうとしていないことを意味する。
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話題を変える。
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いじめという行為は等しく他人の人格をおとしめる行為である。その嗜虐性を持って自我の欲求を満たし、彼我を比べて上位に配したつもりになる。客観的には非常に惨めで哀れな自己満足に過ぎないが、本人は人間としての基準以下にあることに気づいていない。
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話題を変えると書いたが、双方に相似が成り立つことは容易に理解されよう。ほぼ間違いなく、双方は同様な人間性を持った者の所業である。後者の属性が他者をおとしめるキーワードとして原発を選んだだけに過ぎない。
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ひとつ、書いておく、後者に属する者は、自身の基準を持って判断しない人間であるから、本質を見極めようという努力をせず、真の理解に至らない。応じた言動にならざるをえず、当然、たとえば表面上好意の言葉を並べていても、相手は自己の理解者では無いと知る。裏返して、誰にも愛されることはない。
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福島の方々が、絶対の基準も安心の条件すらも示されないまま、追い出され、あるいは大丈夫だからと言われて何の手も差し伸べてもらえない。それは事実である。
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「福島」の名の由来は太古福島の位置に湖があり「吾妻おろし」が「吹く島」があった。この吹くを縁起担いで福に変えたことに始まると伝承にあるという。
福になるべく風が吹く。されど東風が運んできたのは。
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今愕然として膝を折る。艮の方角に向かい。
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