嘘をつくこと
っとにもう、どうすんだろねぇ、これ。
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当たり前だが嘘には覆す真実が存在する。
真実には応じた傍証が存在し、嘘を嘘と証明する証拠も確として存在する。
従って、嘘を言い張るには、これら傍証と反証にも嘘を用意する必要がある。
しかし傍証反証それぞれが事実であって、畢竟、傍証反証それぞれを裏付ける証拠が確としてある。こうして嘘を嘘と言い張るためには無限の嘘を次々に用意する必要がある。往々にしてそれは真実を明示するより多くの手間とコストを要し、失われるものも無限に大きい。
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目先の利を見てその場しのぎに嘘をつくのは子供じみた情動であるが、昨今大人が政治家が果ては国家がやらかすから痛々しいというか哀れである。追って歴史が真実を白日の下に晒した時、恥をかくのはその時代の人である。にもかかわらずそうした大きな嘘が増えているのは人類という存在自体が子供じみてきているからか。「ピラミッドに『最近若い者は…』という落書きが刻んである」とはオレが良く使うギャグだが、ネアンデルタール人はどうやら後世になるほど脳容積が縮んで行ったらしいことが判っている。地球上、種は栄えやがて滅びる倣いに従い人類も衰退への道へ舵を切ったか。否否ワニもカメもゴキブリもクモも億年単位既に存在し今なお生を受け繁殖している。滅びるのは環境について行けない種族である。尤も、最も環境を改変しているのは他ならぬホモサピエンスであったりもする。
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ただもし仮に、嘘を押し通す最短絡な手段が一つあるのだとすれば、それは真実を殺してしまうことである。国家レベルの嘘を押し通すために莫大な軍事力を投じ、大統領を葬り去った国が実際存在する。正義だから許されるそうである。ただそれでも「事実」は消せない。
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人類の進歩は過ちに範をとることの繰り返しであったとオレは思っている。毒物を毒物と認識できたのは毒食った人があるからだし、重工業プラントの凄まじい配管群も四日市等の過ちの反映である。比して福島第一はどうか。範をとる動きであるかどうか。
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過ちでもゴリ押しする。そんな人類の未来の姿は何のことはない。今のテレビの視聴率が暗示している。
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