奥尻島より20年
1993年7月12日午後10時17分。
Mw7.7の地震が奥尻島直近を震源に発生した。北海道南西沖地震である。
当時のニュースを見る限り、地震発生後5分ほどで大津波警報が出たようである。しかしその時点で既に最大遡上高30メートルを超える津波が奥尻島に到達していた。停電し情報が得られない夜闇の中、揺れがようやく収まった程度のタイミングで津波に襲われ、多くの人命が失われた。その10年前に発生した日本海中部地震の記憶は多く島の方々の記憶に鮮明であったと思われるが、何せ津波が来るまでに逃げる時間が殆ど無かった。翌朝テレビに映った「煙が立ち上るだけ」の光景を何だこれはと思いながら見ていたのを鮮明に覚えている。
(http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sr/gkg/hokkaidonanseiokijisinsaigaitohukkou-NO.1.pdf)
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それから20年。我々は再び同じような災害を起こさないための何かをこの手に出来たのだろうか。
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以前書いた「現在ただいまの名古屋を南海トラフ巨大地震が襲ったらどうなるか」の記事において「高知など地震の揺れが収まるかどうかのうちに津波が来る。どうすればいいのか自分も判らん。揺れの翻弄に打ち勝って逃げろというのか。」と書いた。どうなるかを示しているのが奥尻島である。しかし本当に20年を経ても座して黙するより他ないのだろうか。
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①時間を稼ぐ→堤防を作る
②逃げ道を確保する→建物の倒壊を防止する
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ここで予防保全原理主義を取るなら、堤防は地盤沈下が生じて海底が凸凹になっても機能を維持できる仕様でなければならず、技術的ハードルは高い。建物の補強はとにかく手間とコストが膨大である。
最小限に抑えようというなら、例えば避難道路は決めておき、その道の両側にネットの柵を設け、
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│道│
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/道\
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となって倒壊物を受け止め、逃げ道だけは確保する、という手はあるだろう。「倒れない」ようにするのではない。「故意に倒れて」受け止め、守るのである。
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「浮けばいいじゃん」
そういう思想は3.11でも聞かれ、応用した製品も出たようである。ただそれはプロパンタンクが火を噴きながら漂う環境を耐えられるのか。引き波で沖へ持って行かれた後のことを考えているか。
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回答はどうやら財政出動しかないようである。それは現在も進められているが、更に急がれる内容ではあろう。そのために税金が増えるというなら別に構わない。
が、それは額の多少あれど、理想論の範疇に過ぎない。
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「今来たらオマエどうするんだ?」
当時と一つ大きく違うところ。緊急地震速報が届く。
数秒、早く知ることができる。住所を高知に設定し、南海地震をシミュレーションさせてみよう。
15秒。少なく見積もって10秒。オレならこの間に家を出る。
「鉄則」は頑丈な場所で揺れをやり過ごし、動ける程度まで揺れが小さくなってきたら逃げる。である。これはまず目先の落下倒壊から身を守れ、という意味である。だが、間に合わないのなら仕方が無い。揺れが来る前この10秒の間に外へ出、落下倒壊を都度回避しながら揺れの中逃げるしかない(但し闇雲に全力疾走するのではない。安全を確認しながらジリジリ進むのである)。
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奥尻が教えてくれることは、地震が来たら即座に海から離れろということと、時間稼ぎのためには応じた財政出動が避けられず、それは急がれる、ということである。
そして、いつ来てもいいように、残り10秒で何が出来るか、常日頃から考えておかなくてはならない。
日本海中部地震、北海道南西沖地震、東北地方太平洋沖地震。
現代という時勢に於いてなお、「地震が起きたら必ず来る」ことが判っている津波で犠牲を出すとは何事ぞ。
絶対に、「次」を起こしてはならない。逃げ延びなくてはならない。命には命で応えることこそが私たち今を生きる者の使命。
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