慈善・チャリティ・ボランティア
裏ブログの娘レムリアはボランティア団体に所属し世界を飛び回っている(という設定)。国際安全保障、気候地勢、医療看護、知る限りの知識突っ込んである。
およそ最貧困地域というのは、武器だけが最新型で以外はそれを使った収奪と殺戮の繰り返しである。ちなみに古代狩猟採集の生活は決して貧困と同義では無いことに注意願いたい。一族として連綿とその地に生活基盤が継続しているなら、それはちゃんと食えて子孫をはぐくむことが出来ていることを意味している。ネットで駄文を読むことが豊かな生活なのでは無い。縄文の遺跡を見よ、彼らの食いカスのラインナップ何とグルメで豊かなことか。
.
人類史をだらだら見る限り、その時間の多くは飢餓との戦いであり、その転換点は農耕牧畜の発見である。それは食い物の保証であって、当たり前だが現在進行している飢餓貧困も同様にこのプロセスに乗らないと絶対に解決しない。生産が無いので、有る限りを奪うだけに陥った結果が貧困だからである。しかし悲しいかな現実はヘリで時たま食い物ドサドサ落とすか、その食い物を簒奪せんとする者共へ武器を流してキックバックを得る死の商人の暗躍をもたらすか、どっちかしかない。よく書くが(その娘の話だとこの辺に書いた)、リッパなキカイやクスリをその時だけ持ち込んでも、メンテや修理は出来ないし、薬品の追加も出来ないのである。大切なのは「今ある環境・知識で継続出来ること」「必要な知識も合わせて得てもらうこと」である。お仕着せ施しの慈善がどこか胡散臭いのはこういう視点がバッサリ抜け落ちているからである。本質無意味とどこか感づいているのである。
.
「愛」は地球を救うのか。答えは明白であろう。本当に必要なことと、やっているフリをしている内容には大いなる乖離がある。加えて言うと、過去奴隷供出に翻弄された地域は、多くの男性が失われ、農耕牧畜、その前提となる治水や移住に必要なマンパワーが不足している。どころか、生き物としての本能は命の危機故に命の継続に注力し、これがHIVの蔓延に加担していたりする。ただでさえ万年の時を経て獲得したプロセスに対し、スタート地点が大きく後退している状態と言わざるを得ない。「出エジプト記」に象徴されるが、尊崇を得た指導者が一族をあるべき地に導いた。そうした動きのトレースが本来必要なのではないか。すなわち尊崇を得るような存在になることが必要であり、そのために必要な心持ちこそ真実の「愛」であろう。
.
願わくば日本は理屈抜きの「誰かのために」という概念を基本的真理としてDNAに有する民族であり、それは必要であろう本当の「愛」に近いものであると理解している。東南アジアやアフガンでその地の人となる覚悟で活動している人が実際にいる。深刻な飢餓貧困真剣に思うならば、同様な活動が必要であることは容易に理解されよう。されば、あなたの「愛」向かう先は年に一度の小銭処理ではあるまい。もっと言うと、そのためにまず日本を盤石にするべきではないのか?日本は盤石か?オレには傷だらけでボロボロにしか見えんが、それで誰かを救えるのか。
.
食い物落として武器流すと書いたが、21世紀となり新たに資源を目当てに紅色の勢力が薄笑いを浮かべて黒檀の大陸に手を伸ばしている。
人(奴隷)を資源に置き換えただけの再びの簒奪が始まる懸念を憂えてならない。
.
「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、 他人によく思われたいだけの偽善者である」
.
「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対して、愛を持って接することだ」。
.
「日本人は他国のことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」
.
1981年4月。マザーテレサ。黒柳徹子に対して言ったとか(裏は取ってないよ)。
« 第1次宿題解決大戦~読書感想文~ | トップページ | キーボード付きタブパソから入力テスト »
コメント