何を言ってるんだこのJCは
?
いやそら大災害を前に一致団結する人々の姿は勇壮でもあり心動かされるのは判るけどさ。
「人が大量に死ぬ」という背景が裏にあることを失念してるのかね。
台風接近にわくわくする子供の心?
なんかもっと根深い物感じるのはオレだけか。
当たり前だが人間も生き抜くために選択的に残ってきた遺伝子を持っていて。
その中には多分、「自分さえ生きていればいい」ってのが根源にある。
裏返せば「自分以外死んでもイイ」。
逆に言うと「死」に対する感受性がある程度鈍くないと動物の狩りなど出来ぬ。
じゃぶじゃぶ血を流しながらびくんびくん震えてるウサギとか食えって言われて食えるか?
生臭さに鉄さびのギシギシしたような血の臭い充満する中動物さばけるか?
でも人間も動物なワケで。もってしての「いただきます」なわけで。
今から7万年ほど前。人類は絶滅の危機に直面する。インドネシアのトバ火山噴火による寒冷化で1500人前後にまで数が減ったらしい。「トバ・カタストロフ」と呼ばれる。このことは、当時の地層から出てくる火山灰と、現生人類の遺伝子の多様性の無さ(実はあまりに似すぎている)から説明が付くという。
そこ乗り切って70億まで繁茂した理由を考える時、乗り切る手段に殺戮と簒奪を選んだならば、こうはならなかったはずなのだ。それこそ一致団結し、少ない食材をシェアし、生き残る道を相互に提供し合った結果なのだと思う。いつぞやメダカは共食いしてでも種を残すと書いた。逆が人類だ。だから、JCの言う協力し合う姿はトバ後の人類ホモ=サピエンスのあるべき姿であろうし、故に魂揺さぶられて感動を呼ぶのだろう。でも、それを見たいがために大災害を求めるというのは異常である。ここに「地球生命の一種」である自覚を失いつつある人類の末期を感じる。「子供は要らない」「子供は嫌い」などもその類に近しいのではあるまいか。
前も書いたかも知れないが「死ぬために生きている」という宗教家のよく言うセリフをオレは否定する。人も「生きるために」生きているのである。生き抜いて子孫を残すことこそが38億年連綿と続く地球生命共通の使命だからである。オレはそう信じる。人は簡単に死ぬ。が、死を軽々に口にするべきではあるまい。JC。あなたの中で何かが変わったか、それとも元よりこうなのか。
私は、あなたと距離を取る。
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