ポストモダンと言うことか
ネットラジオでシンガーソングライター女子がこんなトーク。
「モダンって言葉『茶色』ってイメージがあるんですけど」
で、モガ・モボは大正の言葉だぜえと返したら驚いていた。
モダン(modern)というのは「近代的な」という意味で、日本においては大正における大衆文化の西欧化と軌を一にして使われ始めた。モダンガール、モダンボーイ。略してモガ・モボである。なるほど手垢が付きすぎており、彼女の抱いた茶色というイメージは的確と言える。ちなみにモダンが「近代」なら、「現代」は何だという話になるが、「モダンの次」で「ポストモダン」(postmodern)という言葉があてがわれている。特に建築・ファッションでは使用率が高い。まぁ最早それ自体古い気もするが、今を表す語は次の瞬間過去になること必定で、仕方が無いことかも知れぬ。ナウい話で。
なんて出来事を頭の隅に古い歌を聴いていて気づいたことが一つある。今の日本のポップスの歌詞は「移動」しないのだ。それこそ「モダン」そのものであった「ニューミュージック」の騎手たるユーミンに顕著だが、夏はサーフィン、冬はスキーである。比して見よ、今の歌詞どこか出かけるか?「会いたい~」系に代表されるが、心の中はひたすら描くが、歌詞中人物の躍動を描くのは少ないのではないか。
「つまらん」
冒頭掲げた画像記事に繋がるが、日本のポップスに対して良く聞く評の一つである。そう両者シンクロしてないかその変化。「動かなくなった」……ポストモダンな歌詞は、スマホスリスリで動かなくなったリスナーに寄り添うのではなく、実は牽引力を発揮して動かすべきではないのか。動きたい気持ち……「わくわく」を抱かせる必要があるのではないか。
ひっくり返そう。なぜ恋をする。遠く万葉短歌の時代から恋歌、恋物語の存在がある程度寄与しているのではないか。その恋に彩りを与えるのは花鳥風月・四季の移ろいではあろう。それらは動いてそういう風景に身を置かないと感ぜられない。
恋は冒険である(かっこいいこと言ったと思ってる)。冒険とは外へ出て未知を目指す行動そのものである。されば、幾ら会いたいと書いたところで、そのためのアクションを惹起するに至らないのでは無いか。
美しい少女に恋をした。おおそうか。
風に舞う薄紅幾千の中に彼女はあった。長い髪風に任せ、舞う薄紅を見上げていた。無理矢理あてがわれたようだったセーラー服も、大人びた彼女には最早不釣り合いにさえ感じられた。
どっちがキュンキュンする?
冒頭記事に戻るが、アニソンが売れ続けるのは作品や声優にファンがいる。というだけではない。世界観を反映した風景があり冒険があるからだ。
ALFEEの「STARSHIP」のように宇宙まで行けとは言わぬ。言わぬが動け。動けば道は大きく開ける。
物語書く立場から言う。楽しい。だからリリック書くのも絶対に楽しくなる。
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