リンク

  • 創作物語の館@ココログ出張所
    別途お話を書いています。携帯端末で気軽に読めそうな短いのと、携帯端末でどうにか読めそうなデータ量に小刻みに切り分けた長いのと。 メインはファンタジー、冒険、命を守る。先端科学、魔法、超能力、妖精さん、てんこ盛り、暇つぶしにでも覗いてやって。50作少々あるので。
  • 竹谷内医院カイロプラクティックセンター
    ヘルニアや座骨神経痛と闘うあなたに。ここが私の安心サポート。 (カイロプラクティックまとめ記事はこちら
  • 朋和カイロホームページ
    名古屋におけるオレのケツ腰の守護神。JAC認定カイロプラクティック。さあアナタもLet’sバキボキ

ついったー

  • ついったー(暫定運用)

めーるぼっくす

無料ブログはココログ

« コミュニケーションのディメンション【起】 | トップページ | コミュニケーションのディメンション【転】 »

2013年12月13日 (金)

コミュニケーションのディメンション【承】

(承前)

 
するとここに「使えるものと使いこなせるもの」とのギャップが現れる。
・電話:リアルタイム
・手紙:タイムギャップあり(リアルタイム性を求めてはならない)
・メール:電話と手紙の中間・リアルタイム用途にも使える・文の長さ任意
だけだったのが
・LINE:電話と手紙の中間・リアルタイム用途にも使える・読んだかどうか分かる・短文主体
いきなりこうなる。普通、リアルからネットへ展開されたコミュニケーションは。長文のやりとりを経て、互いの共通と相違を認識し、交換する情報が減って行き(判ったことが増えるため)、必要最小限になり、時々、に落ち着く。
 
楽しいから即レス→仲良くなったしちょっと遅くてもいいよね→そうなんだ、へー、まいっか
 
こうか。この辺の変化はリアルでも同じであろう。本当の友達は時々会うレベルでも、いちいち反応しなくても何ら問題ないものだ(少なくとも男同士はそう、男女間もほぼそう。女同士は知らん)。ただ、そこに行き着くまでは長い会話があり、場合により喧嘩が含まれたりするものだ。そして、大人たちはその辺を経験で知っている。だからネットから始まったコミュケーションでも同様の軌跡をたどる。
 
比較した時「KS」は実はまだ「長いやりとり」を欲しており⇒短文のやりとりであるがゆえに充足できない⇒自分の会話の優先度が下げられているという疑い、こういうロジックではないのか。ここで「疑い」は論理の飛躍のようだが、十代は「自分の人格が否定されているのでは?」と常日頃恐れていることを思い出して欲しい。
もちろん、十代故の客観性欠如に伴う誤謬は指摘できる。相手も複数のコミュニケーションをしている可能性(複数のクラスタに属している)、深夜だから寝ている可能性(自分と生活パターンが違う)、など、自分の状況を安易に相手に当てはめて、「予測と違う」と判断している可能性が指摘できる。で、実に歯がゆいのは、そうした客観性は、多くのコミュニケーションの経験から生まれる、と言うこと。予測と違うと不満を持つばかりでは、「自分の配慮不足かも知れない」という「経験からの気づき」を生み出さない。
 
(つづく)

« コミュニケーションのディメンション【起】 | トップページ | コミュニケーションのディメンション【転】 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: コミュニケーションのディメンション【承】:

« コミュニケーションのディメンション【起】 | トップページ | コミュニケーションのディメンション【転】 »

2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック