コミュニケーションのディメンション【起】
「KS」:KIDOKU SURUU・・・既読スルー
会話アプリ(ぶっちゃけ表現)である「LINE」で、飛ばしたメッセージが開封、読まれたが、その返事を返さないこと。またそれを非難する言葉。
バッカじゃねぇの?と思ったあなたは多分大人である。
ほぼ30代後半以降の方は、まず、人間同士のコミュニケーションが既にあって、それがネットの発展と共にネットでもコミュニケーションする、という遍歴を経たはずである。ここで出てくるのが「離れていても会話が出来る」および「周知」「通知」「返事はいつでもいい」というネットならではの柔軟性に富んだ利用法である。幾つか例を挙げる。
「新しい模型の機関車を買いました」
別に即レスが欲しいわけじゃない。相手が機関車好きだったから送ってみた。その程度の話。ひっくり返して自分が受け取ったと考えよう「へー」で終わるであろう。興味があれば「性能は?出来映えは?」返せばいいレベル。掲示板に貼るのと変わりない。
「実家に向かう途中マイルストーンの通過の都度メールを飛ばす」
親が場所を把握できていれば良いので別に返事が欲しいわけじゃない。伝わりさえすればそれで良い。
「タレントがツイッターで日常の一コマを投稿する」
ボケ倒す主義なので思いつけば返す。でも仕事中は無理だし興味ないことにはツッコめない。その辺はタレントさんも承知の上。
に、対して。
現在は端末を手にしさえすれば、その扱うスキルに応じてコミュニケーションのツールが増えるという話になる。電話だけならリアル+電話。メールが扱えればメールへ、そしてLINEのような手段へ広がって行く。一方、コミュニケーションの方法は幼い頃はリアルしかないが、仲良しになれば電話か手紙、大人のサポートで電子メール、あたりまで入れて良かろう。
するとここに「使えるものと使いこなせるもの」とのギャップが現れる。
(つづく)
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