魔鏡再誕
愛知県から手つかずの完品が出たが、貴重すぎていじり倒すこと出来ないので、レーザスキャンして3次元プリンタでコピー作ったら、魔鏡だと判りました。概況は大したことない(ホントかよ)。
魔鏡。魔法の鏡。写像には裏面の文様が浮き上がる魔法の鏡。メカニズムは以下の如し。薄く薄く削り込んだ時、裏面に何も無いところは削る力で撓むので思ったほどは削れない。一方で文様のある部分はしっかり砥石を受け止めて深く削れる。この結果、表面には裏の文様に沿って凹凸が発生し、写像は当然応じた文様を描く。
「ふーん」である。今を生きる我々には。以上は報道された通り。以下私見。
まず、これ当然当時の知的水準からして「畏れ多くもかしこくも」の効能を持つことから、王権周知の手段にされたことは容易に想像できる。ご存じの通り「魏」から卑弥呼がもらった100枚ほどの鏡には「景初三年」(239年)とか「正始元年」(240年)と銘したものがある。一方日本での出土数は500近くになっていて(専門家は誰もまとめてない。個人ブログ等による)、要は
「量産」
したことは明らかである。
すると「誰が」という話になる。魏からもらった、とは魏志倭人伝に書いてあることだが、何とこの鏡中国からは殆ど出土しない。されば魏に製作を依頼したとか、魏から職人を連れてきたとか、チト苦しい。また、魏自身が倭を服従させるためにこれを下賜したのだとすれば、その製作技法は王権そのものとイコールのはずで、そも教えるだろうか。しかも魏は265年に滅ぶが、日本では4世紀の古墳からも出土している。
この鏡、銅である。銅なのですぐ錆びる。錆びたら磨いて輝きを復活させる。弥生時代から青銅はあった。そのくらいのメンテナンス知識は持っていただろう。で、これを繰り返す。
当然、薄くなる。
「あっ!」
と思った方あるかも知れぬ。そう、これ、元々は只の文様入りの単なる鏡だったんちゃうんけ。使うに従い薄くなり「魔鏡」に変貌したんちゃうんけ。
鏡に異変が生じたとあれば、何が起こったかと撫で回し、さするであろう。すると指先敏感な人は微妙な凹凸検知したはずである。現に今も最高精度の金属やレンズの表面加工は指先による職人芸。
大事に使い続ける→魔鏡に変化する→構造と表裏の一致に気付く→王権畏怖の道具に出来ると考える→国内量産
こないな流れちゃいますか?
ちなみに、だとすれば、いかにも日本のやりそうなことが三つ含まれる。大事にすること。調べて核心的構造に気付くこと。それ量産しちゃうこと。
丸く収まったところで今日はここまで。
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