人類の進歩と調和
タイトルは1970年大阪万博のキャッチコピーである。部品メーカと会議をしていて「光伝送系」部品がすっかり古い技術になってしまったとみんなで凹んだ。
で、ふと思ったのである。比して技術は進歩して、人類も進歩したのか?
万博で展示されていた未来技術はまぁ具現化されたであろうというのが2014年昨今である。
こいつで
・動画
・静止画
・文字
・音声
全てがリアルタイムで記録・送受信・配信できる。更にあんどろいど端末ならテレビ受信や電子マネー機能も有する。まさに「アンドロイド」である。これらは膨大な情報との接触、そして自らも発信者になることをもたらした。
情報を集積して新たな知見を見い出す行為が創造だが、手のひらの膨大な情報は創造の活性化に寄与しているだろうか。「できないことをできるように」これが原始より現在に至る「創造」の源(必要は発明の母)であったが、「なんでもできる」は別次元の何かを生み出す熱き混沌たりえるのであろうか。
最新情報パクついてダラダラ流し見するのは確かにオモシロイ。でも、オモシロイだけで終わっていないか。
70年代の夢をシュリンクしただけで、「新しい何か」は出て来ていないのではないか。そう、未来へ向けて普遍性のある新たな価値観たりえるものは出て来ていない。
新たな価値を生み出す集合知こそが会議の本質だ(キリッ とか前に書いたが、ならばこれこの状態手のひらサイズ集合知ちゃうんか。
いろんな専門知識がある。そこブチ通して共通の何かを発見する。そこに新たな「知」と「値」がありそれは「智」となす。
とか書いてみる44歳初日パラリンピック開会式見ながら。
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