26280時間
ええい寒い。
ピンポイントに雪雲が届き。何度も降っては止みを繰り返し。
気温は6度に届いたかどうか。しかもその後の急降下は身体に悪いほど。ちなみにこれでもツクシが生えている。平年の最低気温7.6℃。最高気温12.8℃。ちなみに去年の今日は最低2.4℃。最高17.4℃であった。
と、まず、だーっと書き出して思うのは、あの晩の現地もこんな温度と風だったなと。明かりも無く暖も無いのに、ひっきりなしの余震と、繰り返し襲来する津波の中、一晩過ごしたのか。
このブログは3.11を検証し、範とし、南海トラフや首都圏直下、三陸沖アウターライズを念頭に、減災に重きを置いて書いている。しかしそれはこの災害自体に背を向けたわけではないし、過去に置いて行こうというのではない。
「14:46」この瞬間を境に「何かずれてしまった」違和感は今も拭えない。原発事故は決して終息したわけではなく、引っ越して記憶が固定されたせいもあろう、そのまま26280時間が経過した。それだけだ。
警察がまとめた犠牲者の名簿もweb公開が終了した。数字の羅列はデータに過ぎず、ひとつひとつの命に対する視線を矮小化してしまう懸念は否めない。だが、事態の甚大さを推し量る指標にはなり得る。
死者:15884
行方不明:2633
(2014年3月10日現在)
震災関連死:2688
(2013年3月31日現在)
我々は我々が来たるであろう次の大災害を生き抜き、その犠牲を最小限に抑えることこそ最大の使命であり慰霊であると信じる。
« 宝永地震を範として【2】 | トップページ | 宝永地震を範として【3・終】 »
コメント