有終の赤い電車
最初にせとでんに乗ったのは2003年
「んごごごご~」重々しいつりかけ電車の響き朗々たるに我が目を疑った。おいおい21世紀にもなってこんな明治大正期からの古典システムで動いてるのか。
それだけでは無かった。現行、JR各線や大手私鉄は1メートル当たりの重さが50kg、60kgと言った最重量級のレールを使っている。が、この喜多山駅のそれは30kg。奥に桜が映っているが、その影にあるレンガ造りの変電所跡は何と明治期100年余の生き証人。
戦後すぐの古い電車の車体だけエアコン付き。
木造の車庫で人の手で整備。
だが2008年、一気にジャンプアップが始まる。どこでも目にする銀色の電車が走り始めた。もちろんコンピュータと半導体で固められた最新鋭のエレクトロニクスを積んで。
つりかけは淘汰され、昭和53年新造された瀬戸線専用の彼が先に去り。
車庫は単なる留置線となり、そのポイントの動くことなく。
残された最後の赤い電車も本日を以て。
10年前まで50年前のメカニズムが残っていたのにそれが明日から全車電子制御とか本線より先進的やん。
まだ、見ての通り、木の枕木が残っているけど。
斯くてせとでんは緑から赤一色を経て銀色になる。赤い電車よ、さようなら。昭和が一つ、日常から消える。
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