ネットワークは広がって行きネットワークから切り離される
「自動車整備士」と聞くと、メカニックのプロという印象が強いが、昨今自動車電子化進んで、パソコン経由で調査するスキルが必要なのだそうだ。しかも単純に車載のメインコンピュータと通信して自己診断結果を吸い出し、なら、照合作業のアプリケーションを使えれば済むのだが、故障モードに電池やモータにインバータ、更には各所のサブマイコンやマイコン同士の通信異常まで、全然「メカニズム」じゃ無いところも故障因子として盛り込まねばならない。その昔(今もか?)メカトロニクスという電子・機械統合工学に対する物言いがあったが、それが学問から日常の茶飯事まで着実に浸透し、応じた知識を要求されることを意味している。
これはオーディオも同じで、その昔は赤白コードを間違えずに繋げば済む話だったのだが、内部回路のバージョンがどうのこうの、対応しているファイル形式がどうのこうの、曲を買うこと自体ネットでクレカ決済ダウンロードで、とこうなっている。「レコードをデジタルに」を目したCD板には、今や階層フォルダと所定の形式の「音楽データ」が書き込まれている。予算に合わせて機器を選び、セッティングで追い込んで行く、の前に、そも再生可能かどうか、システム要件を見ないとならない。その方法を知っていないとならない。
対応できない人はそこで止められてしまうのである。ネットワーク化は様々な機器を融合し、集積して「別の新しいこと」を実施可能にしているが、逆にそれまで差の無かった同じ業種・趣味人の間に差を作ることになってしまった。文系理系とよく言うが、何でもかんでもネットとPCのスキルが必要というのは少々きびしい。ネットに関する得手不得手でネットワークから弾き出されて果たして良いのか。ちなみに現在「スマホでLINE」が若者達(死語)のコミュニケーションで「常識」とされているようだが、電話番号を事業者にぶっこ抜かれるとか非常識なツール子供に使わせたくない。それでも参加させるべきなのか(グループ内で暗黙のルールが出来上がるという点で、学校に生じるその手のグループ、関わるイザコザを惹起すること容易に想像できる)。質の善し悪し関わりなくネットワークが必須なのか。
「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の身にも奴隷にも、全ての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることも出来ないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。。。」(ヨハネ黙示録第13章)
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