貴重な現実に触れて~伊勢湾台風の全容~ @chunichi_news
娘が夏の自由研究に「水害」を選んだ。メインを伊勢湾台風に置くという。なぜ、および今来たらどうなるか、今後より強い台風が来た場合は…まぁ考察の余地はあろう。
生の声を聞けるという点もある。1954年の出来事であるからして、義父母は実体験している。
(常滑市内)
すると。
「…伊勢湾台風か、写真集があるぞ」
見ての通りである。義父殿所蔵。小学生が触れることのできる一次ソースとして貴重かつ適切。
ご遺体の写真などかなり生々しいものもある。しかし、覆い隠したら逆に伝わらない。
中でも、伊勢湾台風の高潮被害を苛烈にしたものは貯木場の材木、とつとに言われるが、その背景が納得できる写真が数多く収蔵されている。上に浸水高の写真を貼ったが、それだけだと「水に浸かっただけ」というイメージを起こさせる。しかし、実際には
その高さの水が
何トンという材木を幾千幾万浮かべ
時速30キロから40キロというスピードで
深夜に停電し暗闇に包まれた市街地に
咆哮を上げる暴風と共に流れ込んだ
のである。義父母の話では、ガラスを、玄関を破られないように必死に押さえていたというから、多くそういう場所に突如材木の山が叩き込まれたことになる。
一文と写真一枚引用させていただく。
「1ブロック48世帯のうち3人生き残っただけというところもある」(P19)
「名古屋港8号貯木場」(部分。P36-37)
貯木場自体はこれを教訓にいろいろと対策がされたようである。しかし、堤防の強化という点ではどうだろう。高潮であれ、津波であれ、名古屋市西部から三重県一帯は「海抜0メートル地帯」であることに変わりはなく、堤防や排水システムが破壊された瞬間、それは一帯が原初の姿に戻ることを意味する。何度か書いているが、江戸期東海道は熱田神宮から三重桑名までの間は海路だったのだ。「原初」はすなわちその姿に戻る可能性を今もって秘めていることを意味する。
これもよく引用する(原典はここ)。この「~全容」にも左側の地図が引用されている。「枇杷『島』」「清『洲』」といった地名の由来、尾張一宮がなぜその場所にあるのか、濃尾平野の原初の姿をよく表す。
伊勢湾台風は「昭和の怠慢」を象徴するとも言われる。戦後復興を経て「自然災害ごときで千も万も人が死ぬもんか」という驕りがあったという意味だ。そして今、21世紀のそれとして東日本大震災が比肩される。
我々の国土は豊穣と引き替えに災害の危険が常にあることを忘れてはならない。
« 空港へ行く~でも特に空飛ばない~ | トップページ | どうせ配信ならハイレゾで~イマドキのオーディオ入門その3~ »
« 空港へ行く~でも特に空飛ばない~ | トップページ | どうせ配信ならハイレゾで~イマドキのオーディオ入門その3~ »
コメント