知識が必要である理由
「エボラ出血熱」の症状がどういう経緯を辿り、どんなルートで感染するのか、今これを読んでいる皆さんはあらかたご承知のことと思う。ところが、この情報は肝心の感染地では共有はおろか常識化すら不十分である。この話の理解の前提には、「病気はウィルスで感染する」という下地の基礎情報・知識が必要だが、まずそれがない。どころか「白い奴らが強制的に閉じ込めて殺している」という曲解が蔓延し、隔離施設が襲撃されて患者が脱走などの事案も生じている。まぁ、「無理矢理連れて行かれて会わせてもくれない」ではそうした誤解は発生しうる。しかし目に見えない小さなものの存在を理解させ、とやっているヒマは既に無ない。このことは基礎教育がいかに重要であるかを示唆する。
先週来、50年前の文献である「伊勢湾台風の全容」を読んでいる「~昨今の気象変化を考えれば」(※)とか「めったにない災害のためにかけられるコストは幾らか」など、どこかで聞いたような話が既に書いてある。個人的な50年後の結論を言えば、1000年に一度であっても「来るのは確実」なのであるから、式年遷宮の檜の如く、100年スパンで粛々と積み上げて行くしかあるまい。しかしそういうことはギャンギャン言うくせに7万5千年から閉じ込めておく核廃棄物どうするつもりか(※伊勢湾台風が来襲した1959年は、宮古島台風の襲来や、梅雨期、8月にも大雨など、気象災害が多発していた)。
伊勢湾台風や東日本大震災は「先進国だから」という傲りが起こした人災という側面がちらつくが、その傲りの下地にあるのは、実は正しい知識の不足では無かろうかと見ている。似非科学の典型である血液型性格診断に代表されるように「科学的知見に基づく機序や現象の理解」すなわち「科学する心」が日本では圧倒的に不足している。八百万の神万物精霊の国ならではの情動……と書きたいところだが、本当は万物精霊に思いを致すと機序が理解できるはずなのだ。従って無理解が横行しているのはそれらを軽視している裏返しと思えるのである。自然災害は大枠のメカニズム(どうして地震が起きるのか、台風が発生し来襲するか)に、居住地の地勢(崖下・卓越する風向き・干拓地か否かetc)を加味して、総合的に「何が起きそうで、何をすべきか」を考える必要があるが、把握できている人はそうそうおるまい。でも実はそれは真っ先に把握すべきことではないのか。
放射線も然りである。線種、線源、への理解も無くただガイガーの値でギャーギャー騒いでいるようにしか見えない(読んでるアナタをたった今ガンマ線がスパスパ貫きまくっているのですよ)。更に言うと無知ゆえの不安に応じて変な団体がしゃしゃり出てきて適当なことを言って金をむしり取る、そんな構図があちこちに見え隠れしている。偏った報道に騙されて信じ込み、プロパガンダの片棒を担いでしまう。温暖化と騒ぐ前に防災・減災。3.11前に食ってたモノの放射線量を知った上でどこそこの産物はとレッテル貼りをしているのか。
気付いた方多いであろう、実は「生きるために必要なことを知る」という点で日本はエボラの流行地を論評できる立場にない。しかも血液型やら放射線やら高校出てれば習っているはずの話。如何に「我が身のための勉強」をしていないかが判る。受験用の暗記アイテムではさもあろう。
大事なのは「いい点を取ること」ではない。将来のために、各家庭それぞれ手を打っておく必要があるのではないか。
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