スケールデメリット
よらずモノづくりに対するアナリストの物言いは「ファブレス化して世界で売れ」である。加工費の安いところに生産委託し、世界で売ればいいじゃない。一見至極当然に思える。だが彼らは工場の人ではない。そのせいか決定的な視点が欠けている「品質の確保」である。
故障は確率を「ppm」という単位で管理する。一般に確率というとパーセントが思い浮かぶが、それを同様に書けば「ppc」となる。では「m」は何か。million……百万である。つまり百万作って1個壊れる壊れないでギャーギャー言ってるのが品質の世界である。
「こまけえ」
「1/100万じゃ仕方ないんじゃ」
「仕方ない」この視点は一般的である。エミール・ボレルというフランスの数学者が自分の著書でそう言っている「個人的尺度において無視できる確率」だそうな。
ハナクソみたいな話に思えるが侮るなかれ。クルマの部品は1万個。全部が故障率1ppmだったとしよう。するとクルマ全体で壊れる確率は9950ppm。おおよそ1万/100万。何のことはない「1%」になるのだ。100台に1台の確率で壊れるクルマ、アナタ買いますか?逆に言うとクルマ自体の故障率を1ppmにしようとしたら0.0001ppm。これが部品個々に求められる故障率となる。
昨今、そうしたアナリスト達の物言いをバカ正直に聞いたかどうか、アホみたいな生産規模の工場が世界のあちこちに出来ている。今般iPhone6の発売に合わせて工員を10万人募集したとか最たる物であろう。部品貼り付けて完成品にするだけでこの規模であるから、その「部品」はもっと大規模が求められる、と容易に想像つく。完成品の故障率を下げるために部品に求められるということは……。
気付いた方あるかも知れぬ。超巨大工場でどうやって「0.0001ppm」確保するのか。
ここで1ppmに抱いた感想を振り返っていただきたい。「億」作ってると、1個2個故障が出たところで、
「こんだけ作ってるんだから少し壊れてもしょうがないだろ」
こうなる。顧客からしたらムカつくわな。そう、「規模がでかすぎる」のである。10万人、全員が材料投入とボタン押し、かも知れない。しかしボタン押すと機械が動くようにメンテするという別の仕事がバックに出て来る。10万人吸い込める工場の中にどれだけ機械が居るのか。
加えておっそろしいのは、「これを幾らで作ってくれますか?」で常時入札しており、安い値段を出したところにヒョイヒョイ乗り換えるという行為を平気でやる。
「M国ようやく安定しましたね」
「来月からI国で作ります」
「(‥)」
で、M国で過去繰り返した不良がI国でまた繰り返される。で、完成品メーカは客先からこう言われる
「同じこと繰り返してバカか」
たまったもんじゃない。
壊れる→原因究明→改善・対策→類例防止・水平展開……これは言わばモノ作りの「静脈」に相当するが、アナリスト達は顧客に届けることが大正義と考えているので、動脈と静脈のバランスが取れておらず、結果的にトータルコストでバカを見ることが良くある。世界のあちこちに大工場作ったが、技術に通じた品質管理は本国に3人4人とかザラだ。ハナクソみたいな小部品壊れて、故障調査にA国送れというのでジェット輸送費何万使って、で、出てきた結論がP国工場のおばちゃんの髪の毛でしたとかもうねアホかとバカかと。
「日本で目の届く範囲で丁寧に作ってくれ」
結果としてこれが一番安くて安心というのが昨今の結論、お願いだから目先の規模に幻惑されてグローバル展開とかやめれ。
以上
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