理系至福の日
「理系?」
の、つもりだったがネタを変える。
●ひまわり8号
(三菱電機のサイトより)
パネル広げて本体全長5.2m本体全幅5.3m本体全高 8.0m。質量3500kg。「はやぶさ2号」が600kgなので相当デカい。赤道上空35800キロに放り込まれ、全地球の雲を500メートルスケール10分間隔フルカラーで観測する(日本列島だけなら2.5分間隔可能)。500メートルは7号の2倍。間隔は3倍。フルカラーは気象衛星カメラとして世界初。
「三菱電機」と書いたが国産システムである。ちなみに「ひまわり7号」まではMTSAT(Multi-functional Transport Satellite)という正式名で開発されているが、こいつは最初から「HIMAWARI」である。また、観測センサは略してAHIと書かれるが、その実「Advanced Himawari Imager」であり、専用品である。カチカチの横文字で実は「ひまわり」なのが実にほんわかで良いではないか。あと、イラストにもあるようにスタートラッカー・システムを積んでいるが、こいつは名の通り「星」すなわち恒星(Star)の位置を追尾(Tracking)して自分の姿勢を把握、ズレたら直すというSFチックな装置である。
まぁこんだけの性能あれば昨今増加しているゲリラ豪雨や近辺現象も早く捉えられる。運用開始、ファーストライトを待ちたい。
●日本人ノーベル物理学賞
青色LEDの三人(赤崎、天野、中村)が受賞した。こいつは業界で言うところのガリナイ(ガリウム・ナイトライド/GaN:窒化ガリウム)で出来ている。
各人の業績を見てみよう、1970年代、こいつ結晶化して半導体を作るなんざ「アホかい」と言われた。その結晶化を実現(1986年)、青色LED発光成功(1989年)を達成したのが赤崎。
その赤崎研で共同で仕事をしたのが天野である。当時知られていたGaN層の生成法は1000℃という温度を要したが、…良くあるパターンだが
加熱装置がぶっ壊れて850℃しか得られなかったのだ。
ところがこれが功を奏す。サファイヤ基板とGaN層の間に「緩衝層」というのを挟もう。材質色々変えてみよう。というのが目的だったのだが、850℃で作れるモノは「窒化アルミ」(AlN)なので、とりあえずこれを作ってみたのだ。その後修理した加熱装置でGaNを吹き付けてみると、AlN層の上に綺麗なGaN層が形成され、安定したGaN層が得られるようになったのだ。
(引用:http://www.takeda-foundation.jp/reports/pdf/ant0203.pdf)
さて中村は日亜化学との特許問題で知られる。彼はGaN層を生成するガスの噴射方法を工夫した。単純に吹き付けると舞い上がる。じゃぁ舞い上がらないように上からもぶっかけろ。というのである(これは量産技術には使われていない)。更に天野がAlNで作ったバッファ層をGaNに置き換えた。サファイア-GaNバッファ-GaN結晶という構造である。それ自体は天野自身もプランの一つとして持っていたが、実行に移したわけだ。結果、GaN結晶は非常に質が高くなり、また、LED化するためには「P型」と「N型」を作ってくっつける必要があるが、サファイア-GaNバッファ-GaNだと、既存の方法でP型を簡単に作り出せた。こうして青色LEDは21世紀の光として市場に送り出されることになった。
青色LEDは現物があちこちあるほか、光ディスクの高密度化に結実した。応用製品である白色LEDの開発に繋がり、現状、光源の主力である。ムリと言われたガリナイ製品応用を20世紀のうちに成し遂げた業績は大きい。中村の仕事には既存の寄せ集めというネガティブな見解も多いが、「実際、やってみた」のは彼の実行力の賜物に他ならない。日亜との仲違いは不幸というほかないだろう。
ノーベル賞級の仕事、とよく言い、その内容は技術的、理論的に極めて高度なものが良くあるが、本当の「ノーベル賞級」はこうした誰でも理解できる革命的な仕事をいう。青LEDは立派にこれに該当し、チャレンジ精神と逆境を逆手に取った挑戦は評価されて良い。
日本人のマイルストーンとして人類の記録に残るであろう。
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