安曇野、山野秋景
今回の旅はまず思いついた温泉地に宿を探し、後からサテどこに行こうかと探す行き当たりばったりの最たるものであった。従い趣旨も目的も何も無いが、オフシーズンの安曇野は逆に絵になるだろう(短歌ネタ元になるだろう)という目論見はすぐに立った。
立った。この鉄塔と送電線の存在感(撮影は娘)。
うそうそ。こうだよね。これは「ちひろ美術館」より東方、姨捨(おばすて)・冠着(かむりき)方面を遠望。冬の準備という風情が漂う。なおここ安曇野より北方、あるいは山寄りは信号機が縦配置の雪国仕様である。
宿の近く「上原(わっぱら)遺跡」そばより。紅葉は盛りを過ぎたというより面影だけ残と言って良く、遠望、雪の剱岳はあと半月足らずに迫った白い季節を否が応でも意識させる。ちなみに長野県北部の雪の季節は突然始まる。半月で1メートル近く積もりスキー好適に変貌する。
上原遺跡内縄文時代石柱に休むアキアカネ。近場に掘り返した痕があったが土器狙いであろうか。嘆かわしいことだ。
俗世を離れた温泉宿にパソコン持ち込むなんざ無粋の極みである。あまつさえは端末持ってうろうろ歩いて「窓際ならLTE(4G)受かるぜテザリングだ」とかやってる。ちなみにこれは来週記事に出て来るであろうイベントの事務手続きのため、だったのだが、結果として前日記事の通り地震情報の取得と拡散に大いに有用だったのは言うまでもない。
夕餉より「りんごグラタン」りんごをくりぬいて茸グラタンを詰めてある。
容器も食う。実に合理的で無駄が無い。
宿より北方、目立つ稜線は「爺ケ岳」東縁に連なる白沢天狗尾根である。同山より北方へ白馬連山となる。今般の地震においては大町以北への移動手段が断絶し、白馬への移動をあきらめた方もかなり多いと聞く。
さて大町温泉郷であるから、目の前の通りを西へ行き着けば扇沢を経て黒部ダムへ至る。足を伸ばさない手は無い(なんぢゃその物言いは)。
30分も要せず扇沢トロリーバス停車場に至り雪を見る。なお、本来この時季ここに来るにはスノータイヤか地元のバスが正当である。
黒部ダム(黒部川第4発電所のダム。くろよん)。高度経済成長期の電力需要をまかなうために人海戦術の突貫工事を実施。
この巨大コンクリート構造物を8年で完成に導いた。得られたエネルギの大きさは計り知れず、但し171名の殉職者があったことは工学の括りの中にいる一人として書き漏らすことは出来ない。
ダム上より黒部別山南峰を望む。よく登山ブログで目にする。ちなみにダムはそれ自体「立山黒部アルペンルート」の一部となるが、スキー板を担いだ方が見えたほか、日本語を喋らぬ団体の多くを見た。彼らは非常にマナーが悪く、自撮りアームを使ったカメラアングル設定の場所取りなど、傍若無人きわまりない。あまつさえはダム湖に痰を吐くなど「不逞鮮人」以外の何物でもない。ヘイトと文句を言う前に最低限、人としての素養を身に付けよ。殉職した御霊に大変申し訳ない。敢えてここに記録しておく。
(下流側ダム直下)
くろよんのスケール感を求めた画像を幾らか貼る。自然と共に暮らすこの地に人工構造物の極致たるこの巨大構造体が違和感なく収まっているのは、応じたスケールを有しているからではないか。逆に言えばここまでの心血を注がないと自然の造作に人が並ぶことは出来ないのである。殉職の技術者各位へ、あなた方の仕事の成果は黒部の山々と一体となってここにある。
インターチェンジ近くに戻ると俗世間の日常が入り込んでくる。
「春になるまでは何もしないよ」
うん。今度はラベンダーの頃にでも来るよ。
・剱岳帽子白くし見下ろせば雪に備えるトラクターあり
・枯れ野より青に鉄塔突き立ちて白く舞うもの落ちるのを待つ
・縄文の列石「パワースポット」と紹介されているをネットにて知る
・絵のような安曇に絵を描きに来て描き忘れたらし いわさきちひろ
・峡谷と分け隔て無く白の降り積もる偉丈夫くろよん五十の歳月
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