名古屋直下型地震は「無い」のか?~阪神・淡路大震災20年に寄せて~【1】
●イントロダクション
その日は静岡の会社の寮で寝ていた。地震動の体感はない。
タイマーで6時半にテレビの電源が入るようになっていて、当然、速報が流れていた。サッと見て並ぶ数字は震度4とか5とか。なら特段……聞きながらうたた寝していた。
「神戸震度6です」
飛び起きた。
それでも当初は人的犠牲も殆ど聞かれず、普通に出社した。
当時情報ツールは携帯電話なんか「なんでお前個人でそんなの持ってるんだ」とか上司に言われる時代(部長課長でようやく持てる段階)。モノクロ液晶のノートパソコンで社内電子メールアドレスいりませんか?そんなレベル。会社単位でインターネット接続している方が珍しい。
従い続報を見たのは昼のニュースで、弁当食いながらテレビを付けて、全員で固まることになる。
何だこれは。破壊され焼き尽くされているではないか。
まるで空襲のフィルムのよう。神戸は爆撃でも受けたのか。
「オレ帰るで。なぁすのぴ、携帯ってレンタル無いのか?」
西宮から単身で来ていた課長が腰を浮かせた。当時携帯電話1台10万。レンタル業者が出始めたの知っていたが、大阪神戸の業者は知らぬと答えた記憶がある。そして程なく、当初震度6の報が遅れたり、人的犠牲の情報が少なかったのは、
破壊の甚大さの故に通信が途絶し、外部からもたどり着けず確認が遅れたせいだ、と気付くに至る。未曾有の事態になっていると知って震えた。
平成7年兵庫県南部地震。阪神・淡路大震災。人的犠牲6434。
戦後初めて100万人規模の大都市エリアを襲った直下型の大地震。
こんなのが「名古屋」を襲う可能性はないのか。
南海トラフばかりが報道・周知されているがそれでいいのか。
個人的に書けば「覚悟が必要」……反発を覚悟で啓発を行う。
1.東海3県の「直下型」履歴
このエリアで直下型が起きた場合、名古屋ピンポイントで被害というのは考えにくく、逆に他で起こったとしても名古屋に何かしら被害は生じる。どのみち近隣相互に影響は及ぶのでまとめて扱う。「理科年表」をはぐると大きく次の3つをピックアップできる。
①伊賀上野地震(1854)
②濃尾地震(1891)
③三河地震(1945)
元号で書くと嘉永7年、明治24年、昭和45年となり、時代を飛び飛びのように見える。が、西暦で書くとこのように90年に過ぎない。人によっては生まれて死ぬまで地震だらけだった、ことになる。初めにこれら地震の震源と概要を記す。なお、断層図はいずれも「新編・日本の活断層」による。また、学術報告類は内閣府のサイトから引用した。
①伊賀上野地震
1854年、太陽暦7月9日の午前2時頃発生。マグニチュード7.2~7.3。人的犠牲1300人余。名古屋での被害は聞かぬ。震源は「木津川断層」と同位置と推定され、地割れを生じている。同断層の南側が1メートル沈下、追って生じる安政東海・東南海地震(1854/12/23)の前震とよく言われる。
②濃尾地震
1891年10月28日午前6時38分発生。マグニチュード8.0程度。内陸・直下型の地震としては知られる範囲で日本最大。山を覆う雑木林が根こそぎ崩れ落ちて一気にはげ山になるなど激しい揺れを観測、新聞記者の第一報は「ギフ ナクナル(岐阜無くなる)」であったという。最大震度は昭和の調査で「7」の地域があったとされた。人的犠牲7273。名古屋でも少なからず被害が生じ、市内の「大幸八幡社」の石碑を紹介したのは既報の通り。
震源地の根尾谷断層は顕著な断層崖の存在で知られる。ちなみにその写真で有名な
これだが、起こっている状態を理解するには多分
こういうのがあった方がより役立つ。濃尾地震はどちらかというと水平方向「横ずれ断層」の系である。(東側が北へずれる)
GPSによる変位量と方向をプロットした図を示す。根尾谷断層の卓越している方向(北北西―南南東)と変位の方向が一致していることが分かる。
③三河地震
1945年1月13日午前3時38分発生。大戦末の混乱期、早朝ということもあり、家屋倒壊に伴う大きな人的被害、報道管制による復興遅延を生じた。マグニチュードは6.8。人的犠牲は死・不明合わせ3300。名古屋市内での被害は死8。これは半月前の東南海地震(1944/12/23)で倒壊等生じやすくなっていたためもある。
さてこの地震では「└┐」型に続く地割れ地形「深溝(ふこうず)断層」が出現した。大まかに南西が隆起、北東が沈降、そして横ずれ成分も含む。
先日撮ってきた生写真を貼る。まずこれは地図中の☆マークのうち、断層が東西に走っている部分。愛知県の天然記念物である。
同じく☆の南北方向、断層番号13と重なっている部分である。一色町「宗徳寺」境内。撮影に行った際、住職からお話を伺うことが出来た。それは追って引用する。この地震は上記「東南海地震」の余震、あるいは誘発であると言われる。
以上3件、濃尾平野の地図というか写真にプロットするとこうなる。
名古屋はこれら震源地に囲まれている。また、伊賀・三河の断層方向は南海トラフと平行し、南側から力を受けている。一方、濃尾・三河の断層方向は南北成分を含み、東側が横滑りする様相を呈する。
このことは三河地震に特異な要素があることを示唆する。だから現地出かけずにはおられなかった。そして名古屋を含めて語るには、名古屋の立つ大地平原、濃尾平野そのものの成り立ち抜きでは進められない。
(つづく)
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