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2015年1月17日 (土)

名古屋直下型地震は「無い」のか?~阪神・淡路大震災20年に寄せて~【3】

3.三河地震の次

(1)三河地震の被害と機序

最後に三河地震をベースに、名古屋直下の可能性と想定を記してみたい。まず三河地震とは次のような地震であった。1945年1月13日午前3時38分、夜明け前に発生した。直下型で断層に沿って左右及び上下のズレを伴い、20日前に起こった東南海地震で弱った建造物を倒壊に至らしめた。戦後の聞き取り調査で、断層沿いに「震度7」相当の領域があったことが分かっている。家屋の真ん中で上下に動かれたら何も出来ない。

「午前三時三十八分地震が起きた。私もその時ちょうど目を覚ましていた時だった。これはと思った時にはどんと体が上に上がって下に落ちたら、もう天井の梁が私の胸の上に落ちてきて、あっという間に梁の下敷きになっていた。どうすることもできなかった。子供が私のとなりに寝ていたが、とっさに子供を守ろうとしたと思うんだけど、私の下で死んでしまった。梁と私の重みで、二回ほど息を吐いただけで息をひきとった。私は、あばら骨が六本折れて、動くことができなかった。一階で寝ていた兄と兄の子供一人が梁の下敷きになって死んだ。」(地域史深溝編さん委員会編、1999・大竹すえ子さんの証言)。

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断層上の寺院「宗徳寺」の当時の状況を断層説明看板の写真で示す。住職にお話を伺ったので引用する。当時、近場には米軍の本土空襲に備え(アメリカは名古屋地区に航空機を中心とする軍需産業が集中し、東南海地震で大被害を被ったことを把握していた)、トンネルを掘って弾薬を隠す工事が行われていた。宗徳寺には工事に徴用された兵隊が寝泊まりしており、この地震で彼らは一斉に飛び起きたという。

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(上記段差の10メートル南側。断層をまたいでパシャ。単なる土のように見えるが大地の境目がここにある)

報道管制が敷かれたため復興物資の収集に難渋し、特に一般家屋の復興には長期を要した。なお、現在でも地震が起こると揺れは報道される震度よりひときわ大きいという。今なお動き続けている「振動する剛体の自由端」と言える。

深溝断層の動きだが、南北方向の2つの断層の間をつなぐように東西方向にひびが入り、「└┐」になったとする見方、元々この形だったとする見方、21世紀現在でも固まっていない。ただ「東西方向の圧縮力」の元で生じたことはどの説でも肯定している。このことは、南から、東からの力が現存し、地震に繋がる潜在力が現在ただ今も蓄積され続けていることを裏打ちする。

(2)断層を並べて見えてくる「形」

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三河地震・濃尾地震・更にその延長線上にある福井地震(1948)も含んで一画面に収めるとこのようになる。全部一直線上に乗り、その真ん中に名古屋、とこうなる。

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断層地図はこう。この地図全般に区切りが下手くそで、名古屋の西半分しか視野に入らんが、地域に東西と南北の断層が入り乱れ、そして名古屋市周辺に表示が少ないことが分かる。この名古屋市周辺は「無い」のではなく「ワカラン」のである。多少掘ったところで木曽三川が積み上げた土砂ばかりで「その下」に到達せず見えないのだ。なお、左下の四角形は伊賀上野地震の震源である。この辺は南北より東西方向の断層が顕在化しており、「東から押される力」が鈴鹿山脈で遮られていることが裏付けされる。逆に言うと名古屋の直下は東西・南北双方の力が常に掛かっていると考えて理にかなう。逆に断層が無い方がおかしい。

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「名古屋市の古墳」で検索するとこうなる。東海道は宮(熱田神宮)-三重県桑名を「七里の渡し」の海路であったことは知られるとおりで、主たる理由は木曽三川の流路不定による。従い当然、その影響を受ける地域は長期居住の証左たる古墳は少ないのだが、それにしても少ない、あるいは内陸よりしかないと書いていいだろう。熱田は草薙の剣・日本武尊に由来する古社であり、対し「尾張一宮」は名古屋と岐阜の中間あたりにある。王権発足・古墳時代、まともに居住できたのはその辺、ということになる。このことは、逆にそれ以降は所在地を放棄するような大きな災害に見舞われていないことを証しする。これは

・三河地震の深溝断層は2万年間隔くらい
・濃尾地震のうち、根尾谷断層は2~3千年間隔、一緒に動いた梅原断層は数万年

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と調和する。我々は「前の活動」を知らない。一方

・福井地震の震源断層は明らかでは無いが、人工地震(音波レーダ)探査で、3000年間隔程度で動く変位の存在が明らかになった(ソース

これは根尾谷断層の間隔・運動方向と調和する。

名古屋市近くには根尾谷の延長線上に相当する「岐阜-一宮線」という断層が仮定されているが、実際どこを走り、どの程度の間隔で活動しているか、結論は出ていない。

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濃尾地震の被害調査から構成された震度分布図である。三河地方に飛び地のように「震度7」があるのは、深溝周辺の「揺れやすさ」を傍証する。一方、深溝と震源周辺と間にある名古屋は「震度7」を免れている。これは、当時、たまたま、未知の断層が割れ残っただけではないのか。すると逆に、この百年で他が全部動いているのに、ここだけ動かないままで有り続ける方がおかしい、とこうなる。「名古屋直下・震度7」決して絵空事では無い。

●まとめ

・濃尾平野には、フィリピン海プレートの運動により「南から北へ押す力」「東から西へ押す力」双方が印加されている
・濃尾地震は「東から西」の力で生じたもので、三河地震は東南海地震によって二つの力に伴うひずみが同時に解放するように生じた
・「東から西へ押す力」は、伊賀上野地震の挙動と断層より、鈴鹿山脈以西には達していない
・三河地震-濃尾地震-福井地震の震源は一直線上にあり、名古屋は断層直上特有の揺れに見舞われた過去が無い

結論:数千年間隔の断層活動において、名古屋だけ強い揺れに見舞われず70年が経過した。これは名古屋の安全を意味しない。

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断層地図の2番や5番「猿投・高浜」断層系をウェザーニュースの訓練システムで動かすとこう。但し実際には「揺れ始めてからシステムが警報を発するまで数秒」であるから、ほぼ緊急地震速報自体は意味をなさない。実際、長野県北部地震(2014/11/22)で信濃大町にいたが、震源から20キロ離れて警報が地震動に間に合っていない。

「南海トラフは警報が間に合うでしょ」

信じて油断していると真下から突き上げられる。直下型の場合、居場所が頑丈以外に命を守る術は無い。家丸ごととは言わぬ、どこかに潜る、居間や寝室だけ対処する、などが最低限必要であろう。もちろんコストを要する話で一朝一夕では難しい。だが、伊賀上野地震が安政東海の前兆として生じたように、「名古屋直下」が南海トラフの前に来る可能性も充分ある。

名古屋は弥生・古墳時代以降、土地を放棄するような大災害に見舞われず人が住み続けてきた。ただそれは断層の活動周期より短い期間の出来事。他方、名古屋には戦後70年、震度5以上の実績が無い。それは実は大スパンの「B値の低下」(大きな地震の発生直前に地震頻度が減ること)かも知れない。

Tw16

名古屋は地震危険度の最も高い時代に生きている。今、それが来たら、あなたはどう動きますか?

繰り返さないこと。6434柱の御霊へ届けて良い唯一の結果。

(おわり)

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