荒野の言霊使い、平井和正。天使の元へ旅立つ
自分が「文章書き」を趣味とするきっかけになったのは小学校6年の時である。学芸会でオリジナル脚本の劇を出そうという話になり、何か知らんが色々思いついた。以降創作して形にするという作業が面白くなり、「小説を書いてクラスに回覧する」というのもやった。そして中学2年で担任から「これ読んでみたら?」と勧められたのが平井和正「幻魔大戦」である。
超能力アクションの体を取っていた。念動力=スプーン曲げ程度の認識しか無かった男の子には、用いて空を飛び、地球外生命体と戦う。そしてテーマは聖書の黙示録に出て来る天と魔との最後の戦いハルマゲドン…
鳥肌が立った。ただ、ご存じの方も多いと思うが、途中から当初の石ノ森章太郎との共著漫画のノベライズ、ではなく、主人公たる超念動者・東丈(あずまじょう)が立ち上げた啓蒙団体「GENKEN」を主体とした話に変わって行く。聖書の知識が必要で中学生には理解に重く、一旦離れる。その間、ウルフガイ(狼男)シリーズに手を出す。
不死身の狼男が展開する激しいアクション、暴力、どすけべぇ(笑)。虜になった。「ここまで臨場感を伴い面白く感じさせることが文章で可能なのか」それは感嘆を通り越し、いろいろと自分の固定観念にゲシュタルト崩壊を起こしたし、何より自分自身の文章の書き方が変わった。小説は書くくせに課題の作文は原稿用紙1枚埋めるのに七転八倒…だったのが、非・自発的文章でも勝手にフレーズが沸いてくるようになった。創作おもしれぇに作文おもしれぇが重畳されたのだ。高校の入学課題で夏目漱石「こころ」の感想文を出せ、というのが出たのだが、原稿用紙10枚あっさり書いた。以降、何だかんだ書いていて、このブログだし小説はこっちである。
そしてこの2015年1月18日深夜2時。何故か起きていて氏の訃報に接した。トランキライザーを囓るかの如く服用し、文字通り身を削って書いていたのは知っていたが、近年は病床にあったようだ。
言霊…文字に文章に宿る魂のことで、それは創出された文章における主体、その文章の魂そのものと言って良いが、氏は「創作は言霊を召喚すること」と公言されていた。巫女の託宣そのものである。もってして、自他共に認める「荒野の言霊使い」であった。一般に作文はあらすじを「考えて」そこに肉付けして行く、少なくとも教科書にはそう書かれているが、そうではなく、思い浮かぶままに書いて行けば自ずと完結するし形になる。作品の魂がそうさせてくれるから、というのである。オカルトそのものの物言いだが、例えば原稿用紙1万8千枚に達する「幻魔大戦」シリーズにあらすじ(プロット)を立てられるか?
「それは嘘。創造や創作は経験の凝縮、記憶されたパーツの再構成」
それも一見同じようなアウトプット作業を生み出す。だがアウトプットに発明や新たな概念そのものが現出するのはどうなのだろう。ってか、小説でそれやったら部分剽窃の集合体になっちまう(オレの物語が影響受けてないことは否定せんよ。基本的に超能力アクションやし)。
心理学では「創造的思考」を経験と模索の結果で説明しており、万策が尽きて解決手段があれば「論理的飛躍」を持って啓示を受ける、としてある。ベンゼンの化学的構造がリングでした、等を例に引いている。
しかし、全部、「それ」か?
言霊の宿った創作物は自ら意思を持ち、作者によって文字に込められた意図を達成すべく事態を動かすという。これは他ならぬ短歌における日本古来の言霊の解釈である。これは短歌を「一首二首」(首=頭=考える主体=魂の首座)と呼ぶことと調和しているように思える。平井和正で「言霊」という言葉を知り、一昨年に「首を突っ込んでみた」短歌でまた言霊に触れるなど、それこそ言霊の導きとしか言いようが無い。って何を言ってるんだこの電気技術職44歳は。
自分の創作もほぼ勝手に出て来る状態だが、これが「言霊」と言って良いのかどうか分からぬ。ただ、そうであれば任せておけば良いので、出て来るままに書いて載せてある。才能の有無とか商業化できるとかそういう次元ではなく、創作物にまとめておきたいという根源的な思いがあり、紡ぎ出すエンジンが出来ているのでお任せ、という状態。いわば創作原理主義で、作文システムだけこのブログや会社の論文書きに使っているw。ちなみに短歌はというと、現状託宣系とロジカル思考系の双方存在する。どっちかに収束する感じではなく、一瞬の物語は前者に、皮肉やパロディなどは後者で「生産」されるであろうという概略が見えてきている。
どんな創作物が面白いと感じるか、および、文章の書き方を軸とする生き方そのものに一定のベクトルを与え、根幹となる柱を形成していたのが、自分にとっての「平井和正」という存在と言って良い。天へ召されたのは残念だが、確固たる何かは自分なりに持ったので、悲しいとか気力を無くしたとか、そういう感慨はない。
だから、ご冥福とか、RIPとか、そうした言葉で氏を送りたくはない。うんそう、自分が言葉にするなら。
ありがとうございました。
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