東京3.11→名古屋いつの日か
東日本大震災を踏まえた「南海トラフ・名古屋・起こりそうなこと」を書いてきたが、地震という現象に伴って発生しそうな災害(建物の倒壊・ガラスの落下・津波・液状化での堤防決壊による下水や河川の氾濫・大火災)は一通り書いた気がするので、そのアフター「生き延びるために」の部分にも触れたい。怖い話ばかり書いても仕方がないし、という部分もある。
2011年3月11日。
電車が止まり、駅前に人があふれ、湾岸エリアのビルから煙が上がった。
古い建物の天井が落ちて犠牲者が出た。後は帰宅の、東京から出る手段を失った人たちが右往左往……これがあの日東京で起こっていた出来事の要約である。
道路は渋滞で全く動かなくなり、歩いて家を目指す人、途中で自転車を買って(!)家を目指す人、朝まで途切れず列が続いた。一方で翌朝の鉄道復旧を待ってという人もあり、企業や学校、宿泊施設がひとときの仮宿を開設した。例えば東京駅地下は大手町から銀座・日比谷まで地下街と地下鉄コンコースとで繋がった大空間であるが、ビル側が非常持ち出しを提供し、床に雑魚寝ではあったが過ごせるスペースを提供した。飲食店は持てる限りの食材を提供し、或いは急遽テイクアウト、弁当を作って通常の閉店時間後も営業を続けた。
情報はツイッターで拡散された。ここで食事や飲み物を提供している。トイレが借りられる……。「困ったときはお互い様」がそこにあった。ウワサのレベルだが、ホームレスのダンナさんが段ボールや新聞紙で保温する方法を教えた、などの例もあったようである。
ただ、これは東京という規模で、相互扶助の精神にあふれた人が多かったから成立した話である。システマティックに用意されたものではない。いろいろと適切に動いたのは意識等しくした現れと言って良い。そして何より、東京は交通機関はさておき、生活インフラ、とりわけエネルギの供給は停止せず、都市機能は保たれていた。
だが、名古屋はそうは行くまい。揺れるのみならず洪水・火災の発生は避けられまい。余震も無視できるレベルでは済まない。また、同時に大阪、そして東京でもある程度の被害が出る。名古屋の「優先順位」が低くなる可能性はあるのだ。名古屋は自分で生き延びる下準備をしておかねばならない。
真摯な気持ちで参加された方にはあれだが、こと名古屋に関する限り、3月11日だからってセレモニーやっている場合ではないのだ。着々と迫ってくるその日に備え、啓蒙し、整える。そして被害を抑制する。それが1万5千余犠牲になられた御霊への最大の鎮魂であろう。更には南海トラフばかり気にしていると予告も無く直下から突き上げられるリスクあるのは前に書いた通りである。
あまりに危機感が無い。備えが無い。それで人類史上とカウントされる可能性すらある巨大地震7分の揺れと連鎖する災害に立ち向かえると本気で思っているのか。
備えよ、隠れよ、そして逃げて、生き延びろ。「忘れない」というのはおためごかしのセレモニーでシナリオを読むことではない。再発させないことだ。
« 最先端モ開業10年~リニモ乗り鉄~ | トップページ | カローラフィールダー7年経過 »
コメント