羨望の職を得た果て~謎めいた航空機事故多発考~
目に見える標識も信号も無いところを、「運転」するのは、そも地に足を付けて暮らしてきた生命体の条件と相反するのかも知れぬ。
その昔羽田空港に着陸する寸前、脳みその妙なところにスイッチが入り、「逆噴射!」と叫びながらそのように操作し、ジェット機を海に落とした機長があった。パイロットは心身と頭脳の双方に高度なものが要求され、当然、応じた頭脳心身備えていたはずである。だのになぜ。
道路でクルマを運転していると、時折めったやたらにスピード出している者に出くわす。大半がスピード狂だが、中には「退屈で眠くなる」という理由で故意に無茶をしている者もある。恐らくここにヒントがある。
明晰な頭脳の持ち主が空間を淡々と移動する。これは「頭脳を働かせる」行為なのだろうか。
明晰な頭脳は使ってナンボなのではないかと個人的には思っている。駆使して高度な解を出す、発明する、合わせて「新たな価値を生み出す」ことこそ明晰な頭脳ならではのアウトプットであろう。ジェット機の全てを司るには確かに高度な頭脳を要求するが、それは決して新たな価値を求めてはいない。ここに乖離がある気がしてならない。
元々コントロールオペレータに頭脳が要求されたのは、刻々代わる周辺状況を把握し、臨機応変に舵と出力を操る能力を求めたからである。比して現行ジェット機でやっとるか、できるか、必要か。いつぞや乱気流に突っ込まれてケツが浮いた話を書いたが、あれはパイロットとしては「負け」ではないのか。
「人がやるべきこと」と「人の把握できる範囲」に対して、技術が「やりすぎ」と感じることが最近多い。航空機や自動車は自動操縦へ「舵を切って」いるが、彼ら(!)は突発的な気象変動(擾乱)や乱気流の可能性までは想定できない。
オートパイロットが多く「退屈」を提供するらしいことを踏まえると、デカいジェットであろうと、基本的にはマニュアルで、イザという時機械がアシスト、位が適切なのではないか。その代わり極力リアルタイムで気象条件と風の情報は提供する仕組みを整える。そろそろ「何でも機械化」ではなく、人と機械の適切な棲み分けが要求されている時代になってきた気がしてならない。
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