ニッポンのモノ作り
読んで落胆した。いやいや記事通りでなく、書いてるアナリストと載せてる日経にだ。「現場」って奴が全然分かってない。
かいつまんで言うと、え?著作権ガー?反論のための引用だい。
・サビ残して自主品質改善など努力してない
・非正規とプロパー混成でチーム力低下
・維持できないイノベーションしない非凡な現場が殆ど無い
・ISO化でエビデンス作業にリソース食われて改善作業そのものが出来ない
・生産の海外シフトで日本国内の現場そのものが減った
いやぁこの期に及んでサビ残してQCやれとお言葉頂くとは思わなかったぜ。
イチイチ反論してるとキリがないが、故意に人手の技能を残している場合を除いて、コストと品質両面から自動化を進めているのが現場の現状である。電子回路なんか数ミリの中に鼻クソみたいな部品をびっしり並べたりするので、逆に人手ではそもそも組み立て自体できない。もちろん人が手でつかむサイズの部品や、ケーブルの這い回しなどもあり、人手作業あるのだが、それは目の前のタブレットに何をドコへ入れろと出るので、そのように作業すれば良く、終わってOKボタンを押すと、図面通りの位置に所定の部品が入っているかカメラで確認して次へ行く。部品供給は専門の係がいて、作業計画表を見ながら部品棚から取ってきて供給して行く。
そしてこの工程は「図面と部品表を読み込むと、自分で部品を集めて実装して行くロボット」が開発されると、人手不要となることを示唆する。その開発費>作業者の熟練化という不等式が成り立っているから人手でやってる、が実態である。なお自主改善はやり尽くしてネタがなくなった結果、「改善活動で人が集まる」自体が目的化して形骸化してしまった、そしてどんどんやめた、が実態である。何だかんだ言って品質問題に対し「やべえ」という認識が自然に沸くのは日本ならではである。
この期に及んで日経の記事を金科玉条に方針決める経営者はいないと思うが(いたら自分の耳目で直に物作りの潮流を把握しようとしない阿呆である)、生産の海外シフトを盛んに促したのは他ならぬ日経であることは自省すべきであろう。文字通り「自分のこと棚に上げて何を言うか」である。で、非正規化を促進し、給料上げずに効率上げろと喚き、スッカラカンになって力が失われた、海外の方がいい、アホか。
で、対策がサービス残業してQCやれ?
結局現場に負担掛ける考え方じゃねーか。バカじゃねえの?←あーあ書いちゃったよ
品質は大まか「安かろう悪かろう」である。その中で、故障をある程度見込み、客に迷惑を掛け、修理を行い、二度と買ってもらえなくなる損失コストと、安かろう悪かろうで下げられるコストとを天秤に掛け、どこでバランスさせるかが現下経営者の判断ポイントと言って良い。世界何十億を相手にするから損失なんかメじゃないという考え方が中国である。対してあなたはどういう考え方をするか、問うべきはそこであろう。ちなみにオレはそんな製品は欲しくはない。貧乏くさい。高品位な素材をセンス感じる配線レイアウトの基板に実装し、スペック比余裕を持った実力のある製品を使いたい。
「感じ方」は人様々である。その数を把握し、どこをターゲットとし、コストのバランス点をドコに置くか、そこまで決めて工程組むのが現下のパラダイムであろう。対して正確に掌握し有意義な記事であるとはとても思えない。
コモディティ化は、部品買ってきてペタペタ貼れば所要の機能を発揮するモノが作れる環境をもたらした。逆に言うとマイスターの熟練のという次元ではない。QC改善は間違いなくマイスターの熟練のという方向を向いたものだ。当てはまらないことは自明だろう。自動機を調子よく保つこと、極言すればこれが現代の「熟練の管理」だ。
日経はオピニオン系はもうやめとけ。単に経済の分野でドコで何があったかだけ恬淡と事実書いとけ。
それは遠からず「自動化」されると思うが。
« 箱根の山は天下の険 | トップページ | 池田彩コラボレーション・ミニアルバム "featuring X"ガチ聞き »
« 箱根の山は天下の険 | トップページ | 池田彩コラボレーション・ミニアルバム "featuring X"ガチ聞き »
コメント