ろーがい
祖母・母・妹・当人、で父単身赴任で不在と。
「女の価値観で構成された中にずっと一人でいて、祖母と母と双方から成績について文句を言われる。男の子が可愛そう」
とはワイドショーでの尾木ママの弁である。よく分かってらっしゃるとしておく。「鉄道模型を捨ててから夫の様子がおかしい」あたりを見ると分かるが、価値観の違いから嫌悪感を持つのは構わないが、何故かそこで一歩踏み込んでくるのである。イヤなら放って置いて欲しい。何故押しつけて来るのか。ちなみに息子のエロ本探しなどその最たるものである。男の子が女の裸に興味を持って何が悪い。「親にバレた」ことがどれだけ恥ずかしくトラウマになることをどうして理解しないのか。言い出した奴は男を代表して厳しく非難したい。
それは主旨じゃ無い。
ここで大いに気にしたのは「祖母」である。45歳である自分でさえ、娘の中学生活に対する「戦略」には自分の経験が役に立たないと感じているところである。況んやその倍の年齢、知りもせんのに口出すなバカ、であろう。「勉強しろ」の馬鹿の一つ覚えほどカチンと来るものは無いのだ。的確、かつ、有意義な指摘でないと意味が無い。
どこぞの家具屋の後継騒ぎも同じである。恐らく現下時代に応じた売り方ではなかろうし(だから経営が苦しいのだ)、一方でそのスタイルをやめる必要もまた無いのである。なのになぜ「で、なければならない」とこだわるのか。文字通り「拘泥」するのか。
ソニーの迷走が良くやり玉に挙げられる。盛田の大賀のやいの言われる。彼らは確かに卓越したアイディアを提示した。ウォークマン=ポータブル音楽プレーヤなど一種のインフラになったとまで言える。だが、彼らが今この時代に生きたとして卓越を提示できるであろうか。
現代はあっという間にマネされて追いつかれる時代である。なのでうまみが無くなると別の何かを生み出し、先行者利潤を確保する必要がある。常に世界を見て、流れと技術の方向性から最適解をベクトル演算する。そういう能力が経営者に求められる。明らかにパラダイムがシフトしてるし、「常に変化」している。コアコンピタンスとか言うが、何か一個そういう「得意分野」を手中にし、あちこちつまみ食いして乗って行けるか試す。応じて何でも出来るポテンシャルを持っておく。昔の経営者の「見えてる範囲」と現代の「見るべき範囲」は違うのだ。ちなみに今イオン形の大型ショップが飽きられ始めている。いろんなモノいっぺんに揃うが、毎日買う食料品などは小回りがきく近所の方が圧倒的に便利だからである。するってえとテナント店舗のオリジナルは価値を持つが、スーパーの独自ブランドはつまらん、という当然の結果に行き着く。アイディアをサッと形にし、必要な利潤を確保出来る数用意できるか。大きな規模なら大きな数が必要だ。時間が掛かる。その間にミニマル反復の集合体にマーケット持って行かれる。
自分の常識が通用するか、まず確認してから口を出すべきだろう。老害と陰口を叩かれないために。
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