娘の決断
「バレエ、やめる」
理由。学業優先。
中学校主要5教科を一口で言うなら、これまでの経緯と今の私たちの状況を知り「叡智」とし、この先生きて行くための「知恵」を付けること、にある。すると実は、構造と仕組みを説明する理科社会こそがコトの本質で、国語や英語は理解するための道具、数学は論理的思考を具現化するための道具に過ぎない、とこうなる。逆に言えば理科か、社会か、どっちか面白がってくれれば、もう一方との連携、そして道具達の重要さに気付く、と、こうなる。しかし。
娘の現況を見る限り、美味くも無いもの物無理矢理食わされ続けている、と言わざるを得ない。それは回答欄を埋める術を覚えるに過ぎず、知識として身につく方向ではない。だから、類推や外伸、補填が効かず、筋道立てて答えを出すという方向に向かない。
もっとも、教科書の書きよう、勉強のさせ方が、女の子の思考形態と異なっている部分はある、という議論は片隅に置いておくべきかも知れぬ。地理は地球の概観から始まる。歴史は過去より順を追って書く。比して彼女は今の時代の前に見える物を見ている。東を向こうが上を向こうが、見えている方向が「前」なのである(これを徹底的にこじらせた挙げ句、でっち上げたのがオボである)。
「なんで?」「なんで?」と遡って行く方法はあるかも知れない。北朝鮮拉致問題。日本語の喋れるスパイが欲しかった。東西冷戦があったから。二次大戦で米ソが戦後を考えたから。植民地支配のヤバさに日本が気付いて刃向かったから…
でも、そうした工夫うぃしても、そも面白がってくれないと「勉強」にならない。勉強を面白いと感じるには知ることを楽しいと感じる必要があり、知りたいという根源欲求の発露を要する。
ぜーはー←書き疲れてんじゃねぇよ
食わせ続けて「あ、判った」となるまで待つしか無いのか。見聞を広める機会をガンガン提示するのか、好きなこと好き放題やらせて、好きの向こうにあるもっと知りたいの発露を待つのか。
ただ、時間は3年しかなく、その3/36を経過した。時間は待ってはくれない。走り続けない限り、危険度はエントロピのように不可逆に増えて行く。
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