名取の地に吾は降りたり
(中禅寺湖と男体山)
飛行機嫌いがそれでも是としたのは仙台へ降りるからである。
仙台空港。ここを津波が覆った。信じられる?
(みやぎ復興ツーリズムガイドより)
空港鉄道の車窓よりのぞむ、痕。「閖上」と書いて読めない、という方はおるまい。
自分は確かにあの日波濤に飲まれた地にいる。ホテルの方にお話を伺った。
・開業3ヶ月での被災であった
・津波自体は免れた
・建物は外壁にヒビが入り、内装にシワが寄り、駐車場がデコボコになった
またタクシー会社の方から
・津波で失われて3台だけになった
・新潟の同業者からマニュアルトランスミッション車を寄贈され、現在も使用中
とのこと。
名取・閖上の地に教訓を得るならば、まずは海岸が見えなくても数キロしか離れていないという認識と、応じた設備(防潮堤など。但し絶対ではない。単なる時間稼ぎ)であろう。ちなみに似たような「平野深奥まで津波が入り込む」光景は、茨城や千葉でも見られた。我が居住地名古屋においてそれは「湾岸ゼロメートル」と言われる名古屋駅西方の一帯が該当する。名古屋市や愛知県、国が今、適切な対処を出来ているとは到底思えない。この鈍感さ、危機意識の無さは歯がゆいばかりである。されど頼るだけでは命は救えぬ。今できる最善をやるより他はない。
吾、故あって御霊ら住まいしこの地に降り立たん。
我が地が来たる大地震に備え、乗り越えてこそ、御霊らの犠牲に報いることと、今一度吾思い至り。
この地で昇天されし九百十一の御霊へ誓う。
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