壊したり傷つけたり楽しいですか
芸人が高級外車を「ネタ」で壊されて物議が云々。
「ボケとツッコミ」のツッコミを大げさにしたのが、しばき芸・どつぎ芸と呼ばれるものであろう。ハリセンでバチーンと叩くとか昔からある。更に大げさになると跳び蹴りしたり。
「いじる」とかまとめられる。しかし当然、度を越すと単に傷つけるだけになる。それに対して笑うかどうかは品性で決まる。
日常生活で「いじる」ことにより、相手が傷ついた場合、それを面白がる自分がいれば、それは「いじめ」である。テレビは昨今あまりに作為なので、ヤラセかどうか疑わしいが、彼はカメラの向こうのリビングで刹那の「笑い」を欲しいと思って本当に数千万円外車のガラスを割ったのであろうか。そして、それで本当に笑いが取れると思ったのであろうか。
「傷つけて楽しい」この残酷な心理の出自を、勝利・征服欲求に求めるという論は昔からある。太古の狩猟、種の繁栄を求めた女性の獲得、飢餓における戦役と簒奪。いずれも「暴力」が手段であれば肯定されることになる。1万年でDNA変わらない。下卑た笑いにカタルシスを覚えるのは「異常」では無いかも知れぬ。
ただ、それはヒューマニズムに反するであろう。同様に太古から人は相互扶助の精神を持ったことにより、情報や食料をシェアしあって幾多の危機を乗り越えてきた。7万年前「トバ・カタストロフ」など、人類が「全地球で数千人」レベルまで減ったという。もし、そこで奪い合いと殺しあいが生じたならば、現生人類は「人」ではない別のホモ・サピエンスに成り果てていたであろう。そうではなかったから命を繋ぎ、70億も繁栄しているのではあるまいか。
笑いの手段として「いじる」そしてそれで笑ってしまう。21世紀には相応しくないだろう。まぁ、隣国の災害を国家挙げて嘲笑する国はあるが。
一つ確かなのは、それらを良しとする人や国家は、誰からも愛されず、そして逆の立場になった時、同様に嘲笑されることになる。
人はどちらの立場に居る方が幸せだろう。
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